2016年10月31日月曜日

旧友と®️2で会った夜

松村2
LINE

日ハム優勝時の®️2での胴上げの写真と
愛娘の®️奈と®️奈リアルパパとの写真があまりにも
表情が良かったので掲載に至る。
みんな表情がよろしい。
この時は偶然にも高校の野球部時代の同級生である
you助平と1年以上ぶりに再会。
右手前で帽子を被ってる野郎である、
なかなかの好中年で高校時代から気が合うが
彼は独自の考えを持っていて私以上に偏屈者で面倒臭い。
ぷはははははは。
彼は1年生の時からパワー溢れる打者だった。
背はそれほど高くなく
現在でも152cmほどしかないのだが(ぷぷ♪)
最近は妙に熱くてむさ苦しい人へと変貌し、
以前よりもファンになった次第である。

彼で思い出すのは
高校のグラウンドでの練習試合で
超特大の打球をかっ飛ばしたこと。
あれは推定120mは飛んだと私は思いたい。
その彼が数年前に彼が®️2に来た時に
偶然にも横チンがいらっしゃり
野球部の話をしながら一緒に飲んだのが記憶に新しい。
こいつって何かラッキーなんだよな。
彼と野球部で一緒に過ごした時に笑えたことが2つある。
一つは我らのブリヲ監督が突然、
「おんしゃらにゃあ、今からノックするけんど、
取れんかったらグラウンド20周やきな!」
なぜこんな発想になったのかまったく理解不能、
このブリヲという男は未だに理解不能、
かなり頭がいかれていると思っていた。
話を元に戻そう。
この20周と言うのはどこから出て来た数字なのかと。
私は当時内野手だったので監督の横で
返球を捕球していたのだが、
このyou助平にノックをブリヲがしたら
完璧に打ち損じて絶対に補給できないところへ。
走るyou助平だったが当然捕球などできず
彼は「これは監督のミスでしょ?」と言う表情。
しかしブリヲは例外を認めず
初夏の高知商業グラウンドをyou助平は走る。
理不尽極まりない状態だ。
2時間ほど経過し、
練習を終える時にyou助平がようやく20周を終えて戻って来た。
「なんなんこれ?」
その肥を発する口からは泡を噴出状態、
疲労困憊のyou助平である。

それと彼にまつわる大きな出来事がもう一つある。
1年生の同級生同士で打撃練習に使用するバッティングマシーンを
倉庫から運ぼうとしていた。
このマシーンは毎年怪我人が出るので有名で
我らの先輩の一人はマシーンが倒れて指を詰めた、
恐れられているマシーンである。
我ら1年生はその恐さを知っているため
恐る恐る倉庫からマシーンを出そうとしていたその時である、
マシーンはyou助平の方向に傾き、
you助平が100キロ以上はあるマシーンの下敷きだ。
やばい! you助平を助けるんだ!
しかし皆で尽力したのにもかかわらず
you助平の右膝上にマシンの角が落下し重症だ、
救急車、救急車を呼べ!
右膝上がパックリ割れていて骨が見えていた記憶あり。
これは超ヤヴァイと。
苦しむyou助平、激痛が走っているようだ。
救急車はまだ来ないのかよ!!
サイレンの音が近づいて来た、
もうちょっとだよyou助平よ!
するとなぜか到着したのは警察官、
「何があったがで?」
ちゃうちゃう、救急車を呼んだつもり。
表情をくしゃくしゃにして痛がるyou助平、
もう事件が起きてから20分は経過している、you助平頑張れ!
そこでふと彼の怪我をした膝の下を見てみると
血がしたたり落ちているが
その血に大勢の蟻さんが大量に集合して来たではないか。
you助平と目を合わさないように大笑い、
あんなに痛がるyou助平なのに
数えることもできないような蟻の大群が押し寄せて来ている。
かなり面白い、涙が出たのを覚えている。
その後you助平は京都の大学に行き野球を続けた、
私はもちろん高校卒業と同時に引退したつもり。
you助平は現在コンサルタントをしている、
私同様に下水道橋と阪神は嫌いだと言う。
彼と会うのは本当に楽しい、
今回は日ハム優勝の瞬間に来て松さんを胴上げしてくれた。
こっちの人間にはそんな発想はないかもだな。
ちなみに彼を見ていると、
いつの間にか忘れていたことを思い出したような気がする。
今度東京に来る時は必ず連絡してくれ、
でも都合上、会えるかどうかは分からないが。
ぷは、ぷは、ぷはははははは。


rZQ2ZrH5rBEI8nv1447932147_1447932155上位に上げるためにも
クリックをよろしく。

tWtcdnr18bJkVQ41447932094_1447932104
読み終わった後は
ここを必ずクリック!

twitter2.png梅造Twitter フォロー歓迎
Facebook.png梅造イズムFacebook


source : 梅造イズム(東京ヤクルトスワローズブログ)