スポニチにあのMVPが立ち上げた社会人野球のクラブチーム、東京メッツについての記事がありました。
元ロッテファン作った野球チーム 熱過ぎる応援で全国大会間近まで成長 (スポニチ)
7月4日、栃木・足利市総合運動場でひっそりと不思議なゲームが繰り広げられた。全日本クラブ選手権大会・関東予選。コアな野球ファンでも注目度の低いこの大会で、異色のチーム同士が戦っていた。かたや、プロ野球の元・応援団がつくったチーム。かたや、「松井秀喜を5敬遠した男」が率いるチーム。それぞれのチームで奮闘する人々をレポートする。第一回は「TOKYO METS」編。
「ララララ~トウキョウメッツ! ララララ~トウキョウメッツ! どんなことがあっても、俺たちのチームだから、歌い続ける、ララララ~トウキョウメッツ!」
一塁側スタンドからこだまする大合唱。球場近くを通りかかった人なら、「高校野球でもやっているのかな」と思ったかもしれない。しかし、これは高校野球ではなく、社会人野球・クラブチームの公式戦だった。
通常、クラブチームの試合中のスタンドには、「関係者」しかいない。選手、選手の家族、大会関係者が数十人いるだけで、「ファン」と呼べる人は片手で数えるほどだろう。そんなスタンド風景が当たり前のなかで、異彩を放っているチームがTOKYO METSだ。
おそろいのTシャツ、ベースボールキャップを身につけた約50人のサポーターがフラッグを振り回しながら声を張り上げ、手拍子を打ち鳴らし、指笛を響かせる。彼らが陣取る一塁側スタンドの一角以外は空席ばかりが目立つため、よけいに異様な光景に映る。
「いつもは鳴り物(トランペット)も使うんですけど、今日は使用禁止のお達しがあったので、声と手拍子だけでした」(サポーターの藤田隼さん)
近年、プロ野球応援のパイオニアと言われているのがロッテサポーターだ。彼らは声と手拍子を中心にした応援スタイルを確立させ、2005年には応援で日本一に貢献。他球団の応援にも影響を与えたが、一部熱狂的なファンが球団フロントと対立。2010年以降、その集団は応援から手を引くことになった。その後、集団の中心人物である安住和洋さんが「ファンの声が届く自分たちのチームをつくろう」と呼びかけて、TOKYO METSが誕生したのだった。
「僕らはボビー(元監督のバレンタイン氏)を支持していました。彼は徹底して、ファンのために野球をやっていた。そのボビーを2度もクビにした球団に嫌気がさして、自分たちのチームをつくったんです。でもチームといっても、最初は児玉くん(貴文)という、駒澤大で4番を打っていた選手1人だけでした。児玉くん1人の練習をみんなでサポートしていたんです(笑)」(安住さん)
TOKYO METSサポーターは、ただ試合中の応援をするだけではない。練習も手伝うし、練習場所も確保する。運営面まで文字通りサポートするのだ。選手の数は次第に増えていったが、初期は練習試合に1対26で負けるようなレベルだった。監督にプロ野球の二軍監督経験が豊富な「ハイディ」こと古賀英彦氏を招聘したものの、「なんやこのチームは!」と古賀監督を愕然とさせるありさまだったという。
安住さん自身「勝てるまで何年かかるんだ?」と不安を覚えたほどの船出に、チームを離れるサポーターもいたという。それでも残ったサポーターたちの努力の甲斐あって、結成4年目の昨季、東京都クラブ春季大会で初優勝を遂げた。決して戦力が充実しているわけではない。安住さんは他チームの関係者から「METSの得点の半分は、サポーターで取っているよね」と言われたそうだ。
「プレーの熱さとスタンドの応援が融合して、『沸点に達したな』と思った瞬間が何度かありました。そういうシーンをまた経験できたのは、うれしかったですね」(安住さん)
当初はレベルの低さに愕然としていた古賀監督だが、今や誰よりも熱く選手を指導している。しかも、ほとんどボランティアにもかかわらずだ。
「みんな野球が好きで真面目だし、成長する姿を見るのは楽しいよ。本当なら老後でリタイヤしている時期(75歳)にこうして若い連中を教えられるんだから、オレはラッキーよ」(古賀監督)
そしてTOKYO METSの中枢には、もう一人変わり種がいる。チームの部長を務める藤田憲右部長だ。本業はお笑い芸人「トータルテンボス」の突っ込み担当。当初は選手として入団したが、現在は忙しい本業の合間を縫って、部長としてチームを支えている。
「『東京で一番カッコイイチームにしたい』というモットーが面白くて、自分でトライアウトに応募しました。今、高校や大学を終えて硬式野球をやる受け皿が非常に少なくなってきているので、もう少し続けたら上のキャリアでもやれる可能性のある子たちのステップアップの場にもなってほしいなぁと思っています」(藤田部長)
全日本クラブ選手権・関東予選は栃木まで多くのサポーターが集まったが、試合終盤に突き放され、0対4で敗退。初の全国切符まで「あと2勝」届かなかった。安住さんは「ウチはまだまだ力が足りない」と次を見据えている。
「まずは、目指せ大田スタジアム。つまり、企業チームと戦える場に立ちたいです。その先に全日本クラブ選手権や都市対抗が待っていると思うので」
サポーター主導でチームを運営するという、新たな形態を模索するTOKYO METS。近い将来、彼らの歌声が西武ドームや東京ドームでこだまする日が来るのかもしれない。
2009年の忌まわしい記憶がよみがえります。
古傷をえぐられた気分になったり、不快感を感じたマリーンズファンの方も多いのではないでしょうか。
この記事が公開されると多くのマリーンズファンが記事に対して非難の声を挙げました。
ヤフーのコメント欄も批判的なものばかりです。
私もこの記事はどうかと思います。
特にこの部分。
近年、プロ野球応援のパイオニアと言われているのがロッテサポーターだ。彼らは声と手拍子を中心にした応援スタイルを確立させ、2005年には応援で日本一に貢献。他球団の応援にも影響を与えたが、一部熱狂的なファンが球団フロントと対立。2010年以降、その集団は応援から手を引くことになった。その後、集団の中心人物である安住和洋さんが「ファンの声が届く自分たちのチームをつくろう」と呼びかけて、TOKYO METSが誕生したのだった。
「僕らはボビー(元監督のバレンタイン氏)を支持していました。彼は徹底して、ファンのために野球をやっていた。そのボビーを2度もクビにした球団に嫌気がさして、自分たちのチームをつくったんです」
あれだけの騒動を起こし、多くのファンを傷つけ、マリーンズファン自体の評判を地に落とし、企業としてのロッテのイメージを傷つけたにもかかわらず、まるで反省していない。
一応経緯を説明しましょう。
東京メッツを作ったのはかつてマリーンズの応援組織としてライトスタンドを牛耳っていたMarines Victory Productions、略称MVPの幹部たちです。
MVPは1995年の第1次バレンタイン政権時に誕生しました。今のマリーンズの応援を浸透させたり、ビジター球場への応援ツアーを実施するなど、マリーンズの外野応援にかなりの功績があります。
しかし、傍若無人な振る舞いや一般ファンを見下す傾向があり、ファンの中での評価は割れていたのも事実です。
2009年。ロッテフロントがバレンタイン監督との契約を更新しないと明言し、バレンタイン監督の来季残留を求めるMVPが大々的な反対運動を開始。ライトスタンドでの示威活動や署名運動を行いました。
一説にはバレンタイン監督がMVPを煽って活動を激化させたという話もありますね。おかげでファンは政治闘争に巻き込まれ、ボビー派、反ボビー派に分断されるという異常事態となりました。
おりしも2009年はフロントがファンサービスの削減を行ったことによりファンからの反感を買っており、MVPの活動はフロントへの批判という意味で一定の支持を受けていました。
しかしMVPの活動は暴走し、ファンは置き去りにされます。9月の試合でフロントを批判するゲーフラを掲げて反フロントをアピールします。
挙句の果てにはメンバーの一人石田氏がフロント死刑というゲーフラを掲げる始末。
これに対し西岡が「子供の夢を壊さないでくれ」とゲーフラを下げるよう懇願するも、MVPらは猛反発。
9月27日の試合では西岡を誹謗中傷するゲーフラを掲げ、西岡の応援を拒否するという暴挙に出たのです。
当然ながらファンは怒り心頭。MVPに対し帰れコールが沸き起こり、球場は異様な雰囲気に包まれました。
結局バレンタイン監督は続投せず辞任。世間を騒がせ、ファンの怒りを買ったMVPはこの年限りで球場を去りました。
記事に出てくる安住和洋氏はMVPのリーダーだった男。
彼の発言にはあれだけの騒動を起こし、多くのファンとロッテの企業イメージを傷つけたという反省が全く感じられません。
自分たちの声が届くチーム、要は自分の言うとおりに動くチームが作りたかっただけ。
「僕らはボビー(元監督のバレンタイン氏)を支持していました。彼は徹底して、ファンのために野球をやっていた。そのボビーを2度もクビにした球団に嫌気がさして、自分たちのチームをつくったんです」という言葉もひどいものですよ。
バレンタイン監督はファンサービスに熱心とはいえ、ファンのためだけに野球はやっていないでしょう。あれだけの銭ゲバですから。
そして嫌気が差した?MVPの暴挙に嫌気が差したのはこちらのセリフ。事実上マリンから追い出された身でありながら、嫌気が差したとは片腹痛いです。
まあ、死刑ゲーフラを掲げた石田氏が何のお咎めも無く東京メッツに選手として在籍していますし、そもそも反省の必要すらないと考えているのでしょう。
この記事を書いた菊池選手というライターは、いったいどういうつもりなのか。
2009年の騒動がまるで無かったかのように扱われ、その後のMVPの活動が美談のように書かれていますよ。
安住和洋氏の言葉もそのまま載せていいものなのか。
あれでは球団が一方的に悪者です。もちろん球団も悪いですが、MVPの悪行が正当化されるわけでもありません。
ショックです。
まさかライターの菊池選手氏は2009年の騒動を知らないのでは・・・
私自身あの年はひどい目にあいました。
「ボビー解任やむなし」
「ボビー残留はファンの総意ではない」
この2つを言い続けただけで、MVPの連中からひどい誹謗中傷を受けましたよ。あらぬ噂を流されたり、脅迫もされましたね。
球団に金をもらっているという噂を流されたこともあります。そんなことは絶対にないというのに。
でもマリーンズを愛するがゆえに、絶対に退くわけにはいきませんでした。
おそらくMVPの幹部以外の連中も根っこの部分ではマリーンズ愛があったでしょうから、お互いにとって不幸というほかありません。
あの年の出来事は思い出したくもありませんが、このような記事が出てしまった以上、2009年の総括をしなければならないでしょう。
私にその資格はないと思っていますが、とにかく誰もやらないのですから誰かがやらなければなりません。
2009年については別エントリーで書かせていただきます。
そしてもう一つ。
MVPのことは気に入りませんが、この東京メッツというチームが短期間で力をつけ、独立リーグに数人の選手を送り込むまでに成長したことは事実です。
関係者の並々ならぬ努力があったからでしょう。これは認めます。
ただ、それは決して「応援の力」だけではない。
確かに応援が選手の後押しをした面はありますが、東京メッツ躍進の主たる理由にはならないでしょう。
むしろ「応援の力」という言葉でまとめてしまっては、彼らの努力をきちんと評価していないということになります。
なぜ東京メッツが躍進できたのか。調べてみると色々と面白いことがわかりました。これについても別エントリーで書こうと思います。
にほんブログ村 千葉ロッテマリーンズ
プロ野球・人気blogランキング
source : マリンブルーの風