明徳で最高の選手
明徳義塾高校・馬淵史郎監督の話
10日ほど前に本人から連絡をもらった。
02年夏の甲子園優勝は、
彼なしではなしえなかった。
ある冬、朝から練習した後、夜も続け、
グラウンドで一夜を明かした日もあった。
それだけ努力もできた。
走攻守そろった明徳史上最高の選手。
プロでは体が小さいのによく頑張った。
ご苦労さま、と言いたい。
( 高知新聞 2016.09.27 )
2001年のヤクルト日本一に続いて
2002年は高知県代表の明徳義塾が
夏の甲子園大会で1回戦では酒田南を5-0、
2回戦では青森山田を9-3、
3回戦では常総学院を7-6、
準々決勝では広陵を7-2、
準決勝では川之江を10-1、
そして決勝は智弁和歌山を7-2で降し全国制覇を成し遂げた。
当時は4番で主将、
この大会で森岡は2本のホームランを放っている。
特に後にこの大会の事実上の決勝戦と言われた
3回戦の常総学院戦は追いつ追われつの好試合となり
8回表には常総学院が2点を奪い4-6となり
見ている側にしては絶体絶命のピンチ、
8回裏も2死走者なしとなった。
しかしそこから奇跡は起きた。
2死から打者は山田、
何の変哲も無いボテボテのサードゴロを
三塁手が悪送球して2死1塁。
しかしニヤける余裕の常総ナイン、
私の心に火が点いた!
すると2番の沖田がライトポール際にまさかの2ランで6-6の同点。
そしてここで登場したのは我らが日本のヤル岡が
インコースのボールを狙いすましたように
ライトスタンドへ起死回生の逆転ホームラン。
自室で大興奮しながら祝杯をあげたのを思い出す。
しかし、引退がいきなりすぎて実感が湧かない。
彼がスーツ姿で球場にいたり、
違う背番号でグラウンドにいた時に
彼の引退を実感できるのかもしれないな。
この時の優勝に対して
以前明徳戦で5連続敬遠でだらしなく敗退し
半泣きどころか小汚い涙を垂れ流した松井秀喜は
「素直な気持ちでおめでとうと言いたい」と言ったそうだ。
この敬遠で得したのは松井のみ、
クレーターのようなこれまた小汚い肌の松井が
有名になったのは明徳のおかげだ。
上から目線で偉そうに言うなヴォケ、
感謝すべきだと言いたい。
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