☆さて、優勝旅行中の、カープ。
◇広島V旅行 ハワイ到着!居合わせた観光客から歓声 デイリースポーツ 12/2(金) 7:33配信
25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島が1日(米国時間)、優勝旅行で広島空港から米国・ハワイ州のホノルルに到着した。緒方孝市監督(47)ら首脳陣や選手、家族ら総勢198人が日本航空(JAL)のチャーター機などで、南国の地に姿を見せた。
長旅の疲れも見せることなく、一様に笑顔で宿泊するホテルに到着。ロビー前にはカープナインの登場に、居合わせた観光客から歓声も上がった。現地ではほぼ自由行動で、家族らと今季の疲れを癒やす。小窪哲也選手会長(31)は「初めてのことなので、どんな感じで過ごせばいいのか分からないんですけど、すごく楽しみですね」と胸を躍らせていた。
ハワイ滞在は5泊7日の日程で、7日に帰国する。つかの間のオフは家族との団らんを優先。「シーズン中は家族に支えられているので。家族が一番。楽しんでもらえたら」と続けた。来季のリーグ連覇、33年ぶりの日本一に向けて、しばし英気を養うつもりだ。
☆すごいですねぇ、チャーター便。優勝旅行の費用は、球団持ちなんでしょうな。
◇広島、ハワイV旅行でレセプションパーティー 緒方監督もプールにダイブ デイリースポーツ 12/2(金) 17:20配信
優勝旅行でハワイ・オアフ島を訪れている広島が1日(日本時間2日)、宿泊するホテル内で優勝レセプションパーティーを開催した。松田元オーナー(65)、緒方孝市監督(47)ら首脳陣や、小窪哲也選手会長(31)ら選手、スタッフなど198人が集結。周辺には次第に人だかりができ、大勢のファンが祝福する中で、25年ぶりVの喜びを皆で分かち合った。
会の始めには鈴木清明球団本部長(62)が「選手、スタッフの皆さんのおかげで、25年ぶりのリーグ優勝を果たすことができ、優勝パレードもできました。素晴らしい1年になった。本当にありがとう」とあいさつ。優勝旅行には選手の家族も多く参加しており、「家庭を守ってくれているおかげです。思い切り楽しんでほしい。懐は松田オーナーが支えてくれます」と言い、会場は和やかな雰囲気に包まれた。
続いて、乾杯のあいさつには緒方監督が登場した。「2016年の流行語大賞を取りました緒方が乾杯の音頭を取らせていただきます」と笑いを誘い、選手、スタッフ家族らの支えにも感謝。その上で「来季のリーグ連覇、そして日本一を祈念して乾杯させていただきます」と一丸の雰囲気を作り、会がスタートした。
ウクレレの生演奏やファイアーダンス、フラダンスには大瀬良や鈴木など、選手も舞台に立って踊った。約2時間、常夏の島でチームは結束を強めると、最後には続々と選手がプールに飛び込む。自然と「孝市コール」がわき起こる中、緒方監督も息子を抱えてプールへ。それにコーチ陣も続き、最後まで笑いありの和やかな会が続いた。
☆息子さんはえらい迷惑ですが(笑)、このドンチャン騒ぎも(笑)、優勝できたからこそ。喜びを存分に噛み締めて下さい。
◇広島・新井、V旅行で「より団結力を高めていきたい」 デイリースポーツ 12/2(金) 19:42配信
25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島が1日(日本時間2日)、米ハワイ・ホノルルに到着。夕方には宿泊するホテル内でレセプションパーティーが開かれ、笑いありの和やかな雰囲気で初日を終えた。主に4番として貢献し、セ・リーグMVPに輝いた新井貴浩内野手(39)は「頑張ってきてよかった」と笑みを浮かべた。
スタッフや家族らも参加した会の最後には、緒方監督ら首脳陣や、田中、鈴木、石原らもプールにダイブ。最後まで大盛り上がりだった。選手会長の小窪哲也内野手(31)は、「ずっと目標にしてやってきたことが実現できた。まだワクワク、ドキドキしています」と笑顔。あらためて来季のリーグ連覇、33年ぶりの日本一を誓う。
ハワイ滞在は5泊7日の日程で、7日に帰国する。初日からチーム一丸ムードで来季、選手最年長になる新井は「何度も言っていますが、カープのよさは団結力。優勝旅行の期間の中で、より団結力を高めていきたいですね」と、来季に向けて気を引き締めていた。
☆あら、石原もダイブ(笑)。
☆今年は、先発・中継ぎ、そして野手、また外国人と、出てくる選手がことごとく活躍。これもチーム編成と、チームの結束力の賜物。ギクシャクしたところは、ほとんどありませんでした。首脳陣のチームワークも抜群でしたね。
☆戦力的に大きく変わった訳でもないのに、いやむしろマエケンの穴が懸念されていたのに、前年の4位から、リーグ優勝へ。大物を補強しろ、外部の血を入れろだの、なかなか優勝できなかった時は、あーだこーだと注文をつけていた批判論者の皆さんは、そういうことを一切しなかったのに今年優勝できたことに関しては、何のコメントもないんですよねぇ。「野球」っていうのを、もっと勉強なさった方がいいんじゃないでしょうか。
☆例えば大物を補強することなんかより、この人のような選手を大事に育てることの方が、チームとしてはよっぽど大切なことなんですよ。
◇目配り気配り心配り。引退する黒田の専属捕手・倉義和が語るカープ人生 webスポルティーバ 12/2(金) 12:10配信
25年ぶりの優勝で沸いた広島でひとりの選手が静かにユニフォームを脱いだ。同年に引退した黒田博樹の専任捕手を務めるなど、石原慶幸とともに正捕手争いを繰り広げてきた倉義和── 。広島低迷期を支えてきたいぶし銀のベテラン捕手が、新たな黄金期到来を予感させた今季、引退を決めた。懸命に駆け抜けた19年間の現役生活を振り返ってもらった。
── 19年間の現役生活お疲れ様でした。
「ありがとうとございます。小学1年生から始まった野球人生。プロに憧れ、広島に入団できて19年間ユニフォームを着させていただいた。本当に幸せな野球選手だったなと思います」
── 97年、京都産業大からドラフト5位で広島に入団し、プロ野球人生が始まりました。
「プロに入って一から捕手として勉強していったようなものでした。大学がそこまで強くなかったので、捕手としての技術、心構え、何をやらないといけないのかわかっていなかったように思います」
── 当時はヤクルトの古田敦也氏など打てる捕手が台頭してきた時代でした。
「最初は打つこともアピールにつながると思ってやっていましたけど、やっぱり甘かったですね。打撃にはある程度の自信を持って入ったつもりでしたけど、レベルの違いを感じました。このままでは2、3年でクビになるなと感じたのを覚えています」
── 入団当初は打力が買われて捕手以外のポジションで起用されることもありました。
「捕手は守りがしっかりしていないと試合に出られないポジションなんです。プロでやっていくためには、”打てる捕手”というよりも”勝てる捕手”を求めてやってきました」
── “勝てる捕手”とは?
「最初はわからなかったから、練習するしかなかった。当時の片岡(新之介)二軍バッテリーコーチに配球や動きなど、捕手としての基礎を徹底的に教えてもらいました。楽して一軍には上がれないと思っていたので、苦しい練習にも耐えられました。下手くそな自分が技術を上げるため、試合に出るためには、何をしたらいいのか── 。そう考えると、練習しかありませんでした。捕手としての技術を習得するためには数を多くやらないといけない。体に覚えさせることがいちばんの近道だと思ってやっていました」
── 8年目に一軍に定着し、正捕手を争う立場となりました。
「しんどくて、妥協したい気持ちは当然ありました。でも2年目のオフに結婚して、結婚から3年後には子どもが生まれました。守っていかないといけないものができたので、きつい練習中に声には出さないけど『家族のためだ』と心の中で叫びながら踏ん張っていたときもありました(笑)」
── 一軍に定着すると、下積み生活とは違う苦労もあったと思います。
「チーム内でも決して安泰ではないですし、一軍に上がれば自分のチームだけでなく、他球団の捕手にも負けたくないと思うようになります。当時はヤクルトに古田さんがいて、中日には谷繁(元信)さん、阪神の矢野(燿大)さんという素晴らしい捕手がいたので、ああいう捕手になりたいという気持ちが沸きました」
── チームには年下の石原というライバルがいました。
「ライバルといえばライバル……。でも競争はあったでしょうが、出番を決めるのは監督なので、相手がどうということではなく、自分が頑張って認めてもらうだけと思っていました」
── 長くふたりで、広島投手陣を引っ張ってきました。
「石原とはよくメシにも行きました。そういうときは黒田さんなど投手を交えて『何をどうしていかないといけなのか』とよく話をしていました。ふたりでやってきたところもありますが、チームは勝てませんでしたからね。試合に出られても、やっぱりチームが勝たないと面白くない。そこの思いが大きいです。”勝てる捕手”を目指してやってきたのに、Bクラスばかりで優勝争いもできなかった……。ただ、ライバル関係を強調してチームが勝てるならそうしていたでしょうけど、そうじゃない。蹴落とすようなことは年下の選手に与える影響もよくないと思っていましたし、同じ方向を向いてやっていくことが大事だと。僕たちだけの力ではないでしょうけど、もうちょっとできなかったかなと思うところはあります。1年終わって反省、1日1日終わっても反省ばかりでした」
── 黒田投手の専属捕手を務め、当時、絶対的なエースとのバッテリーは、常に「勝たなければいけない」試合だったと思います。
「絶対勝たないといけないプレッシャーはありました。黒田さんとバッテリーを組むことでいろいろなことを勉強させてもらいました。あらためて配球や取り組み方を教えてもらったような気がします」
── 登板に向けた調整姿勢もほかの投手と違うものがあったと聞きます。
「やっぱり準備の大切さをいちばん教えてもらいました。登板に向けた調整や、食事ひとつにしても登板へ向けた思いがあったように思います。データを見て、資料を見て、どうやって配球していこうかと……。当然、試合ですべてが当てはまるわけじゃないですが、そうやって話すことで試合中にフッと思い出すことがあるんです。そういうことが大事だなと思いました」
── 黒田投手は試合後、好投すると捕手をたたえることも珍しくありません。
「あれは捕手としては、やっぱり嬉しいですよ。立場的にも、捕手から発信することはあまりないですからね。勝っても投手がよかったとなるし、個人的にも捕手が出ていく必要はないと思っています。そういうなかで、黒田さんのように『いい配球をしてくれた』とか『よく捕ってくれた』と言ってもらえると、『やってよかったな』『もっとよくできるようにやっていかないといけない』と自然とモチベーションが上がり、向上心につながります。黒田さんのそうした言動が私を育ててくれたと思っていますし、昨季、途中からバッテリーを組んだ石原も捕手として育ててもらったのではないかなと思います」
── ただ、黒田投手が復帰した昨年からの2年も含め、ここ数年は二軍で調整を続ける時期が続きました。
「自分のなかでバックアップという役割を理解して、何かあったらいかないといけないという気持ちは持っていました。そこはまだ必要とされていると。それがなければもっと早く終わっていたと思うし、クビだと言われても不思議じゃなかった。だからこそ、常時は無理でも、誰かがケガしたときに自分の役割があると思ってここまでやらせていただきました」
── 今年は新たに二軍バッテリーコーチを兼任する役割が加わりました。
「自分の体もつくらないといけなかったので、難しかったですね。でも兼任の強みは、やりながら教えられること。わからなかったら一緒にレガースを着けて見本を見せることができる。そういう部分ではよかったんじゃないかなと思いますね」
── 一方で、いつなんどき一軍から声がかかるかわからない緊張感も維持していなければいけません。
「体も心も……ですね。どっちかというと二軍での練習は選手、コーチの役割が半々でしたが、試合は(出場機会が限られるため)コーチ業が多かったかなと思います。でも選手として上に呼ばれるかもしれない気持ちは持っていたから続けられたのかなと思います」
── 最終的にユニフォームを脱ぐ決断をされました。
「球団に言ったというよりも、言わせていただいたという感覚の方が強いです。なんと言うか、自分みたいな選手が球団に対して『辞めます』と言っていいのかという思いがありました。でも、ここは引かないといけないと感じたんです。バックアップといっても、やはり一軍で試合に出ないと意味がないですし、ここまでやらせてもらったという感謝の思いも強かった」
── 最後まで現役にしがみつく選択肢もあったと思います。
「周りには『現役にしがみつけ』と言う人もいました。でも自分のなかでは一軍にずっと呼ばれないというのもありましたし、それに今年経験させてもらったコーチ業というものにやりがいを感じていたところもありました」
── 指導者として、どのような捕手を育てていきたいですか?
「やっぱり “勝てる捕手”です。今年も二軍で言ってきたことは、気配り、目配り、心配り。投手に信頼される捕手を育てたいですね」
── 奇しくも、優勝した年に引退となりました。
「最後にこうして現役でカープのユニフォームを着て優勝できたというのはありがたいです。悔しさも少しはありましたけど、今までできなかった優勝ができたという感謝の思いですね」
☆間違ってはいけないのは、ここまでのカープという球団の歴史があったからこそ、今年の優勝があった、ということ。一番分かりやすい話では、黒田さんも新井さんも、カープという球団がこういう球団じゃなかったら、好きにもならなかっただろうし、帰っても来なかったはず。
☆で、会社でも何でもそうですが、倉のような人間は、組織に絶対に必要なんですよ。自分が活躍しなくても、チームのことを考えられる。組織の中で、自分が何をすべきかを考えられる。そして、選手としては、努力を惜しまない。
☆キャッチャーというポジションは、何より経験がものを言うところですから、倉さん、きっといいコーチになると思います。磯村・船越・多田・坂倉と、楽しみな若手がキャッチャーにはいますから、「勝てるキャッチャー」に育て上げてほしいですね。
☆さて、優勝旅行中に飛び出した、「4番構想」。
◇誠也を4番に!広島V旅行先のハワイで緒方監督V2構想明かす サンケイスポーツ 12/3(土) 7:00配信
【ホノルル(米ハワイ州)1日(日本時間2日)】25年ぶりにセ・リーグを制覇した広島が、優勝旅行先のハワイに到着した。滞在先のホテルで優勝祝賀パーティーが開かれ、選手、チーム関係者ら約200人が参加。33年ぶりの日本一を目指す来季に向けて、緒方孝市監督(47)はチームの底上げを重要テーマに掲げ、鈴木誠也外野手(22)を4番に抜てきするプランを明かした。
真っ赤に染まった広島から、アロハシャツに彩られたカラフルなホノルルへ。最高気温26度の汗ばむ陽気に、緒方監督もシャツにジーンズのラフな姿。最高のごほうびに身をゆだねつつ、その視線は来季に向いていた。
「(鈴木が)4番? 可能性はゼロではない。外国人を含めての競争だけど、彼がそういう立場に成長してくれればいい」
鈴木は今季リーグ2位の打率・335、29本塁打、95打点と大活躍し、25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。ゴールデングラブ賞、ベストナインにも輝いた。指揮官は「神ってる」とたたえ、そのフレーズは流行語大賞にも輝いた。その男を、打線の中心に据える可能性を示唆したのだ。
「足も使えるし、いろいろな攻撃ができる。戦力としておもしろい」
今季、広島の4番には新井、ルナ、エルドレッド、松山が日替わりで座った。来季、今季16盗塁の鈴木が座れば、自慢の機動力野球がさらに威力を増す。田中、菊池、丸の「タナキクマル」を中心にリーグダントツのチーム118盗塁をマークしたが、さらなる上積みも期待できる。
「来季に向けてチームの底上げは欠かせない。新しい選手が頑張って、競争力を高めて欲しい」と指揮官。来季は4番も走り、1979、80年以来のリーグ連覇、そして84年以来33年ぶりの日本一という忘れものをつかむ。
☆これはですね、前々から言っているように、誠也くんが「主力」としてのメンタリティーを持つことが、大前提。今年は「レギュラーを取る」ということでガムシャラにできましたけど、来季は最初から中軸としての活躍が期待される。そのメンタリティーが、出来上がっているかどうか。簡単に言うと「自覚と責任」、ですね。
☆ただ、今のチームの場合、誠也くんが4番を打つかどうかというのは、然程問題ではありません。
① 6 田中
② 4 菊池
③ 8 丸
④ 9 鈴木
⑤ 3 新井
⑥ 7 エルドレッド
⑦ 5 安部
⑧ 2 石原
⑨ 1
☆打線の構成は、然程変わらんのですな。強いて言えば、タナキクマルの出塁率が高い、というおいしいところを今年は新井さんが持っていった訳ですが(笑)、それが誠也くんになる、ってことと、足を使えるバッターが上位で4人並ぶ、ってことぐらい。それぞれの役割は、そんなに変わりません。
☆むしろ意味合いとしては、「ポスト山本浩二」に誠也くんがなれるかどうか、といったところでしょうか。
☆…そう考えると、「ポスト新井さん」「ポストエルさん」「ポスト影の4番」(笑)も、そろそろ考えなきゃいけませんね。
☆お次は投手陣、この人は、どこでどんな活躍をするのか。
◇カープドラ1加藤拓也、個性あふれる剛腕投手――全力投球にこだわる理由 ベースボールチャンネル 12/2(金) 6:50配信
◆自分自身の体をフル活用
厚い胸板と鍛え抜かれた下半身でマウンドに立つ。
足を高く上げる投球フォームはテークバックも極めて小さい。この個性から放たれる153キロの速球は圧倒的な迫力を持つ。しかし、加藤拓也には「剛腕」という二文字で語りつくせない魅力がある。
175cmの身長は野球界では決して大きい部類ではない。だが、加藤はウエイトトレーニングに体幹トレーニング、さらには柔軟性をも追求し、強く・しなやかな体を作ってきた。そして、この体をフルに活用することを考えたのである。
「大学1年の秋が終わって、直球をより速く、より強く、よりキレのあるものにするため体全体を大きく使おうと思いました。自分の体は大きくはないので、全てを使わないといい球は投げられないだろうと考えたのです」
その方向性から、足を高く上げて上体の筋肉もフル活用する投球フォームが生まれたのである。
もうひとつの彼の武器は打者に向かっていく姿勢である。気持ちを前面に出してバッターに向かっていく姿はカープのスカウトたちの評価を高めるには十分なものであった。
「相手に向かっていく姿勢、闘志を出していく姿勢です。相手を抑えるためにベストを尽くすことに集中するうちに、こういうスタイルになりました」
元来がパワーあふれる力投型である。連投も苦にしない。ペース配分という言葉も無縁である。「僕がそういうピッチングをしても、魅力はないでしょう」。あくまで加藤は全力投球にこだわりを見せる。
◆球場に見に来てもらえる選手に
そのための準備は怠らない。体幹トレーニングのメニューは丁寧に時間をかけて行い、キャッチボールも一球一球を確認するように投げている。体のケアにも余念がない。
「怪我をしないことはとても大事だと思っています。故障をしてしまうとチャンスももらえませんから」
加藤は、全力のマウンドを続けるための準備にも、全力なのである。
慶応大1年から140キロ台後半の速球で注目を集めてきた。落差の大きいフォークで三振も奪えるピッチングは破壊力抜群である。この9月には、東京六大学野球で史上24人目のノーヒットノーランも達成した。
25年ぶりリーグ優勝に沸く広島にやってきたのは、個性的な剛腕投手だった。ただ、この男には、豪快さと繊細さを併せ持つ強みがある。
「僕自身、プロ野球を見てきていろんなタイプのピッチャーがいるから面白いと思っていました。万人受けするかどうかはわかりませんが、僕を見に球場に来てもらえるような選手になりたいです」
優勝パレードに祝賀行事、広島の興奮はまだまださめない。まもなく、この町に、個性あふれる剛腕投手がやってくる。先発かリリーフか、もちろんカープのチーム内競争を戦うことにはなるが、球春に強烈な印象を残してくれることは間違いなさそうである。
坂上俊次
☆先日も加藤くんの記事は紹介しましたが、一見「剛腕」に見えて、なかなかクレバーな投手のようです。ま、そうでなければ、大学でも主戦として活躍することはできないんでしょうね。
☆YouTubeで動画をいくつか見ましたが、思ったのは、まずはストレートがどれだけ通用するか。大学では少々甘いところへ行っても大丈夫でしたが、プロでは球の勢いだけでは抑えられない。恐らくオープン戦あたりできっちり捉えられて、プロの厳しさを思い知ることになるでしょう。
☆ただ、問題は、そこから。大瀬良くんなんかもストレートを痛打されることが往々にしてあるのですが、これは球そのものの問題もさることながら、配球や使い方の問題がほとんどなんですね。つまり、どうやってストレートを生かすのか。
☆プロに入ると、やれコントロールがどうの、変化球がどうの、ということにまずはなると思うのですが、それで本来のストレートの良さを忘れてしまい、消えていったピッチャーは大勢います。あら、アマチュアでは150㎞投げてたのに、みたいな。
◇打率は.250、20本塁打の選手は翌年何を伸ばすべき? 落合GMが重視する”自己分析力” ベースボールチャンネル 11/30(水) 11:00配信
◆20本塁打をマークした選手が次に取り組むべきのは確実性か?
アマチュア選手の視察に全国を飛び回っている中日ドラゴンズの落合博満GMが、頻繁に口にする言葉がある。
「プロを目指すために一番大切なのは、自分がどんな選手か知ることだ」
少年時代は走攻守の三拍子揃った選手を目指すが、プロの世界でも三拍子揃った選手はそういない。では、長所を磨くのか、欠点を解消していくのか。落合は「長所を磨くべき」だと考えているが、実際にはなかなか難しいようだ。
高校を卒業してプロ入りし、5年目にレギュラーを手にした選手がいるとしよう。ペナントレースで130試合に出場し、打率は.250だったものの、20本塁打75打点をマークした。この打撃成績だけを見れば、落合は本塁打数を伸ばす努力をすべきだと考える。
「20本以上のホームランというのは、誰でも打てるものではない。せっかくその力があるとわかったのだから、30本、40本と伸ばせるように取り組むのがいいでしょう」
ところが、多くの選手は本塁打と打点は満足できる数字を残せたのだから、打率をもう少しでも上げておきたいと考える。落合によれば、打撃コーチもこうアドバイスするケースが多いという。
「ホームランを打つ力があるのだから、あとは確実性を高めれば完璧だ。せめて.280をマークできるように練習していこう」
場合によっては、契約更改の席で年俸の大幅アップを祝福されながら、「打率もアップすれば一流の仲間入りだな」などと励まされ、やはり打率を何とかすべきだと思い込んでしまうこともあるだろう。
打率を上げようとフォームをマイナー・チェンジしたり、ボールをミートする際の感覚を変えたり、ステップする足の上げ方を小さくしたり……。そうして迎えた翌シーズン、打率は.280までアップしたが、本塁打は8本に減り、打点も40まで落ちてしまう。
◆野球という競技に求められる要素
「何かがおかしい」
そう感じて以前のフォームや感覚に戻そうとするが、それで泥沼にはまってしまい、20本塁打75打点が自己最高のまま、ユニフォームを脱ぐ選手もいたという。
「少年野球に始まり、プロの世界まで、日本の指導者はどうしても長所を伸ばすより、欠点を直す方向になってしまう。少しでもバランスのいい選手になってほしいという親心だろうし、チームとして勝たなければならないという状況もあるでしょう。だからこそ、なるべく選手本人が自分の長所はどこで、どんな選手なのかを知るべき。それがプロで成長する道であり、プロの扉を開ける道でもあるんだから」
今年の社会人野球の大会を視察している時、ある中心打者が1点追う試合中盤の無死二塁で打席に立った場面。この打者は、緩い変化球を左中間へ長打にするパンチ力と、威力のあるストレートを右方向に低い弾道で打ち返す技術を持っていた。結果は、緩い変化球を引っ張っていい当たりのレフトライナーだった。落合はこう言った。
「今のカーブは低めに来ていて、打っても打球は上がらない。相手バッテリーだって、彼のデータは頭に入っているはずだから、余程の投げ損ないじゃない限り、彼の待っているコースのカーブは来ない。ならば、やや差し込まれても右方向に打てるストレートを狙い、最低でも一、二塁間へのゴロで走者を進めるべきでしょう。それでワンアウト三塁にすれば、まず同点のチャンスは広がるんだから。要するに、チームを勝たせるバッティングができていない。だから、私は必要としません。そういう意味でも、自分がどんな選手なのかを知るべきでしょう」
強肩、俊足、150キロを超える剛速球。それらはプロのスカウトが注目する大きな魅力だが、そうした能力を備えていても、チームの勝利につながるプレーができなければ意味はない。野球とは、誰よりも速く走る競技でも、遠くへ投げる競技でもない。一つひとつの場面ごとに、チームを勝たせるには何をすべきか考えてプレーする競技なのだ。
プロを目指す選手が、肝に銘じておいてもいい要素だろう。
横尾弘一
☆衣笠さんが高橋大くんがプロ入りした時、「どういう選手になるのかを、しっかり持っておくことが大事」といった意味のコメントをしていましたが、堂林なんかもそういう意味では、「迷える子羊」(笑)。打率.242、14ホーマーで華々しくデビューした堂林、翌年は打率.217、6ホーマーと低迷。三振を気にするあまりバッティングが小さくなって、ホームランも減れば打率も下がる、っていう状態に。
☆これはバッターの話ですが、投手も同じ。加藤くんの場合、やっぱり大事なのは、ストレート。そして、「勝てるピッチャー」になること。その辺を、加藤くんがうまく消化してくれれば、投手としての資質は兼ね備えているので、エース級になれる存在だと思います。
☆倉が言っているように、プロで長くやっていると、何が大事か、というのが、分かってくる。勝つためのプレーができる選手が、チームに貢献できる選手。今年のカープは、野手陣も投手陣も、そこをチーム全体で推し進めたんですね。野手陣は秋からの取り組み、そして投手陣は、黒田さんを中心に、内角を突くなど「攻めのピッチング」をすること。だからこそ「強いチーム」になれた訳です。
☆そういうことがチームとしてできるチームが、強いんですよ。FAや補強の話はまたたっぷりとしようと思いますが(笑)、大物を補強して勝てる時代は、もう終わったんです。あるいは少なくとも、補強で強くなるチームは、長くは続かない。常に補強し続けないと、強さは維持できないし、カープや日本ハムのようなチーム編成は、決してできない。
☆そりゃね、時間がかかるんですよ、チームを作る、なんてのは。ドラフトからチーム構成、資金のやりくり、そして育成から編成に至るまで、長期的展望を持ってやらなきゃ、「チーム」を作り上げることはできない。
☆でも基本にあるのはやっぱり、「野球」が分かってるかどうか、なんですよね。
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source : K.Oのカープ・ブログ。