2017年1月4日水曜日

【新春特集2】2人のキーマン~誠也くんと、田中くん。


☆いや~良かった、ネタがあって(笑)。


◇広島・鈴木誠也が新年の誓い…昨年の“神ってる”活躍忘れて自分と向き合う デイリースポーツ 1/1(日) 6:00配信

 “新”のスターになる。広島の鈴木誠也外野手(22)が、連覇へ新年の誓いを立てた。昨季は「神ってる」活躍で、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。攻守に輝いたが「それをいかに忘れられるか」と強調する。プロ5年目は一からではなく、ゼロからの再スタートを宣言。三拍子そろった一流選手へ「僕には夢がある」と、理想像に近づく戦いを続ける。

 ◇   ◇

 激戦を予想する1年を迎え、静かに決意を語り始めた。昨季は25年ぶりのリーグ優勝に貢献。だが、感動の記憶、感嘆の記録は胸にしまう。“神った”男の2017年のテーマは「新」。一からではなくゼロからのスタートに、鈴木は強いこだわりと覚悟を示す。

 「昨年の結果をいかに忘れられるか。また今年は体も変わってくるし、考え方も変わってくる。打てなかったりすると、去年は打てたのに…と考えてしまう。それをいかに捨てられるか。自分と向き合えるかが大切」

 飛躍の1年だった。初めて規定打席に到達し、リーグ2位の打率・335。同5位の29本塁打、同5位の95打点と屈指の成績を残した。6月18日からのオリックス3連戦(マツダ)では、2本のサヨナラアーチを含む3戦連続決勝弾を放った。球団では1996年の江藤智(現巨人打撃コーチ)以来。流行語大賞にもなった「神ってる」活躍だった。

 だが、胸には悔しさが募る。CSファイナルS、日本シリーズでは一転して打撃不振。全10試合で30打数5安打(打率・167)、3打点と精彩を欠いた。「CS前の時期でも体の変化があった。そこで打てなかった時に、シーズン中なら打てたのに…とずっと空回りしてしまった」。好調時を追い掛け失敗した経験、反省がしっかりと脳裏に刻まれている。そこから脱却できたことも、今季に向けて自信になっている。

 「その後に代表に選ばれたのが、自分の中ではすごく大きくて。試合の中でいろんな人に話を聞いた。今は今だと考えが変わっていい結果が出たので。秋のキャンプも大事なんですけど、その時の自分にとっては大切な時間。なければズルズルいったかも。変わるきっかけは、作れたんじゃないかと思います」

 初選出された日本代表「侍JAPAN」の強化試合4戦で、右翼で3試合にスタメン出場。計16打数5安打6打点に加え、オランダとの第4戦ではタイブレークとなった延長十回、1死満塁から満塁V弾で試合を決めた。打撃の師と慕う内川、稲葉打撃コーチらと会話の中で、切り替えの重要性を感じた。故に今季は「イチ」ではなく、「ゼロ」からの再スタート。鮮烈だった結果以上に、一流選手との触れ合いが今季への糧になった。

 プロ5年目。「僕には夢があるんです」と、理想の選手像を脳裏に描く。走攻守三拍子だけではない。野球への取り組む姿勢も含めて、“四拍子”そろった一流選手への道。「追い求めているものがあって、その過程。失敗も成功もしっかり捉えているので。試練というか、訓練と思っていますから」と紡いだ。投手と野手の違いはあるが長年、チームを背負ってきた黒田博樹氏のような絶対的な存在。目指す頂は高い。

 「黒田さんや新井さんもそうですが、野球だけすごくても人はついてこない。人として芯を持った人間になりたい。そういうところから変えていかないと、技術面は変えていけないので。少しずつ変えていきたいと思います」

 昨年11月5日に行われた優勝パレード&報告会の最後。鈴木を呼ぶ声が聞こえた。「誠也、写真を撮ろう」-。涙のフィナーレとなった黒田氏が、ロッカーに下がる鈴木を呼び止め、ベンチの中で肩を並べた。真っ赤な目で笑う41歳と、笑顔の22歳。これが背番号「15」と「51」のラスト競演となった。長くカープを支えた男が、無言でカープの未来を託した。

 大補強を行う巨人、阪神。連覇は「厳しい」と正直に言う。セ5球団の警戒は強く、鈴木へのマークも厳しくなる。だが、挑んでいく先が高い壁だからこそ、王者のプライドは捨てることができる。「挑戦者の気持ちで戦う。不安はない。結果というより、また今年はどんな自分に出会えるか、それが楽しみです。新しい自分を見つけられるようにやっていきます」。不敵に笑う。“NEW誠也”が一気に、スターへの階段を駆け上がっていく。

 ◆鈴木誠也(すずき・せいや)1994年8月18日生まれ、22歳。東京都出身。181センチ、87キロ。右投げ右打ち。外野手。背番号51。今季推定年俸6000万円。二松学舎大付から2012年度ドラフト2位で広島入団。13年9月14日・巨人戦(マツダ)でプロ初出場(代打)。ベストナイン、ゴールデングラブ賞各1回(いずれも16年)。昨季成績は129試合、打率・335、156安打、29本塁打、95打点、通算成績は273試合、打率・315、237安打、35本塁打、128打点。


☆高卒4年目で、この成績。周囲ももちろん期待していた選手でしたが、いやいや、この数字は立派。


◇スター階段を上り始めたカープ鈴木誠也。担当スカウトが明かす、ドラフト指名の舞台裏 ベースボールチャンネル 1/1(日) 11:00配信

 とても彼らしい言葉だった。

 2016年の新語・流行語大賞を受賞し、“神ってる男”と名付けられた広島・鈴木誠也はオフのイベントでこう嘆いたそうだ。

「神ってるって、なんかマグレみたいに聞こえて嫌だった」

 実力を見てほしい、そんな主張だった。
 
 根っからの負けず嫌いにして野球が大好き。悔しいことがあればバットを振り、会話の中心は野球がほとんど。それが22歳にしてスター階段を上り始めた鈴木誠也という男である。

「移動中の新幹線の中でもずっと野球の話ですよ。ゲームはしないし、他のことに興味がないんです。何をしているかというと先輩バッターの動画を見ていたりするんです。入団したころは堂林のバッティングを見ていたので様子をうかがっていると、『どういう風に打てば、堂林さんみたいに右方向に長打が打てるんですかね』という話になる。本当に野球が好きなんですよ。あいつは」

 そう語るのは広島の関東地区担当スカウトを務めて7年になる尾形佳紀である。
 二松学舎大附高校時代の鈴木を追いかけてきた人物だ。

 スカウトにとって入団に関わった選手は弟、あるいは年齢差によっては息子同然のようにかわいがるというのはよく聞く話だ。まだ38歳とスカウトにしては若いほうの尾形にしてみれば、鈴木はかわいい弟みたいな存在だ。

「入団会見のあと、その日の夜、ホテルでバットを振っていたんですから」

 そう優しく担当選手のことについて語ることができるのも、鈴木が昨年ブレークしているからにほかならない。

 しかし実際、鈴木の指名はそう容易に果たせたものではなかった。尾形にとっては、スカウト人生を賭けるくらいの覚悟が必要だった。


◆ずば抜けていた身体能力

 二松学舎大附時代の鈴木が世間に名が知られるようになったのは1年生秋くらいのことだ。140キロを超えるストレートを投げる本格派投手として一躍注目を浴びた。

 尾形が鈴木を知ったのもこのころだった。
 幸いだったのは二松学舎大附の指揮官・市原勝人監督が、尾形の大学の先輩だったということだ。

「どのスカウトにも共通することだと思いますけど、先輩や後輩が担当選手のチームにいるところには行きやすくなりますよね。誠也の高校は先輩が監督をされていたんで、何度も行きましたし、いろんな話を聞かせてもらいました」

 投手としては「球が速く、コントロールが悪い」というのが当初の鈴木の印象だ。ときに外野を守った時もあり、強肩をみせていたが、高校時代の多くは「投手・鈴木」の印象だったという。

 ただ尾形は「投手・鈴木」を見つめながら、グラウンドでの立ち姿や走るその姿勢にただならぬものを感じていたのもまた事実だった。

「立ち姿、ユニフォーム姿からして魅力的だなと感じていたんです。身体全体がバネで出てきているみたいで、持っている潜在能力が違うなと。バッティング面では、僕が見ている試合での誠也はサードゴロばっかりだったんですけど、ベンチに引き上げていく時の走る姿勢が印象に残りましたね。ストライドが広くて、これぞアスリートみたいな姿でね。本当にいい選手だなぁって思いました」

 尾形は足しげく練習グラウンドに通い、鈴木をみれば見るほど魅力に取りつかれていったという。投げる球が速く、俊足、そしてスイングスピードがけた外れ。高校3年の夏に都大会で敗れて、鈴木が高校野球を引退すると、尾形の肚はほとんど決まっていた。「絶対に獲りたい」。そう思っていたのだという。

 しかし、ここからが尾形にとってイバラの道だった。
 というのも、全国的に無名な鈴木をどうやって指名にこぎつけるか、球団を説得しなければならないからである。

 当時、スカウト部長の判断では「鈴木は4位の選手」と下されていたから、他球団に先に指名されるのではないかという危惧が尾形にあった。


◆阪神の北條と比較された高校時代の鈴木

 スカウトの仕事は選手の能力を測るだけではいけない。性格面や家庭環境などの調査はもちろん、さらには、他球団がどの程度、マークしているかの情報も得なければいけない。

 尾形の予想では「鈴木は4位には絶対残っていない選手」だった。
 とはいえ、説得する材料に乏しいのもまた事実だった。

 広島は12球団では珍しくスカウト同士がクロスチェックをしない。
 クロスチェックとは、担当以外の地区のドラフト候補をお互いで見合わせることだ。そうすることで見落としを防ぐ、お互いの目線を合わせるという意味合いもある。二名以上のある選手を同じ評価として挙がった際、クロスチェックをしていると議論も円滑になる。しかし、広島はその手法を取っていないのだ。

 担当スカウトの眼力が重視されるやり方ではあるが、一方で、他のスカウトが見ていないので、説得するのが難しい。大学選手権や甲子園などの全国大会で出場すれば、スカウトが集結するからクロスチェックの代わりになるが、鈴木にはそれがなかった。

 さらに、当時のドラフトはいわゆる豊作世代で逸材が多かったというのも、難しさを助長した。
 高校生では藤浪晋太郎(阪神1位)、大谷翔平(日本ハム1位)、濱田達郎(中日2位)の「高校BIG3」。大学球界には東浜巨(ソフトバンク1位)、1年浪人の渦中にいた菅野智之(巨人1位)、則本昂大(楽天2位)小川泰広(ヤクルト2位)がいた。社会人には増田達至(西武1位)である。

 1位指名候補と言われた選手のほかにも全国区の逸材がたくさんおり、鈴木がこの中に割って入るのはかなり難しかった。

 そして、鈴木と比較対象になったのが光星学院の北條史也(現阪神)だった。
 鈴木はプロ入団後、ショートで挑戦するということになっていたからである。

 光星学院のショートストップとして3季連続甲子園準優勝。1大会3本塁打、史上最多タイの29打点をマークしていた北條と鈴木では、どちらに分があるかは明らかだった。球団のスカウトは誰もが北條のプレーを見てその素材の高さを知っていたし、尾形自身も「本当にいい選手だと思った」のが本音だ。

 しかし、尾形は頑として譲りたくなかった。どうしても獲りたい。その旨を、当時の指揮官・野村謙二郎監督はもちろん、球団代表や常務がいる前でも訴えた。

「基本、うちはクロスチェックをしないので、自分の担当のところだけをみればいいんですけど、自分が獲りたい選手に関しては、スカウト会議の中で、推したい選手をどれだけいえるかなんです。スカウト会議には社長や常務も入るんで、企業のプレゼンみたいな形で話をしていきます。
 北條と比較されるのはきつかったです。彼は甲子園で活躍したじゃないですか。僕もいい選手だと思いました。でも、絶対に誠也がいいと言いました。(北條の)東北担当の人と言い合いにもなりました。実績は北條のほうがありますけど、でも、身体能力は誠也です、と。練習の映像を使って説明しましたし、僕が魅力的にみえたっていう走っている姿も見せました」


◆スカウト会議で尾形は盛った

 スカウト会議の趨勢は悪かった。
 しかし、当時の指揮官・野村の一言で流れが変わった。

「北條と鈴木ではどっちの足が速いんだ?」

 広島ならではの意見だ。チームのスタイルに合うのはこっちだ。

「絶対に誠也です」

 間髪、尋ねられた。

「じゃ、鈴木は何位だったら、獲れるんだ」

 スカウトの総意は4位だった。
 しかし、尾形は“盛った”。

「すいません。4位じゃ、絶対に獲れないです。2位じゃないと無理です」

 尾形に2位だと獲れないと確信があったわけではない。ただそれほどまでして、獲りたかったのだ。

 そして、鈴木は2012年、ドラフト2位で広島に指名された。

 後日、尾形は二松学舎大附の市原監督からドラフト当日の様子を伝え聞いた。
 ドラフト会見の会場には福岡と北海道の放送局が来ていたのだという。
 テレビ局がドラフト会見の場に来るということは、下位指名ではあり得ない。ソフトバンクと日本ハムが当時、ペナントレースの上位チームだったから、指名順が遅くなる。つまり、外れ1位の指名があるという情報をテレビ局がつかんでいたとみられる。

 日本ハムはメジャー志望を表明していた大谷を強攻で1位指名、ソフトバンクは3球団競合の末、東浜を抽選で引き当てている。

 もし、日本ハムが大谷の意思を尊重し、他の選手と競合し抽選を外していたら、ソフトバンクが東浜の交渉権を獲得することに失敗していたら……鈴木の名は広島の前に読み上げられていたかもしれなかった。

 おそらく、当初の予定通り鈴木を4位指名にしていても、獲得は果たせなかっただろう。
 2位に押し上げたのが尾形だった。

「1年間追ってきて、会議で推した選手をドラフトで獲ってもらって、そして、その選手がプロの世界で頑張ってもらえる。それがうれしいです」

 スカウトの醍醐味について尋ねると、尾形はそう答えた。
 スター誕生の裏には、こうして陰で人生に関わった人物がいるのである。

氏原英明


☆ドラフトで誠也くんを指名した時、北條くんもまだ残ってたんですよね。北條くんは知ってましたが、誠也くんはK.O、知りませんでした。K.O、「カープのスカウトが見初めた選手なんだから、北條くんより活躍してくれるはず」と、カープのスカウトを信じようと心に決めました。


☆もちろん、北條くんも、いい選手。でも、誠也くんも、負けないくらい、いい選手でした。今はやはり、カープのスカウト、球団の決断を信じて良かったと、心から思います。


☆という訳で、北條くんには絶対に負けてほしくない、と個人的に思う、K.Oなのでした。




☆お次は、田中くん。


◇大下、高橋、野村…「赤ヘル1番」系譜に田中が続く 日刊スポーツ 12/30(金) 13:00配信

<2016年ブレークした男:広島田中広輔内野手>

 広島のビッグレッドマシンガンと呼ばれた強力打線をけん引したのは、赤ヘル伝統の機動力野球を体現した田中広輔内野手(27)だった。

 遊撃手として全試合フル出場を果たし、主に1番として打率2割6分5厘、13本塁打、39打点、28盗塁。リーグ10位の出塁率3割6分7厘で塁上をかき回し、同学年のキクマル(菊池、丸)と形成した上位トリオは、他球団の驚異となった。102得点はリーグトップタイの数字だ。

 強気な上、気持ちの切り替えのできる強い精神力は1番打者向きだった。相手の執拗(しつよう)なマークに死球はリーグトップの17を数えた。それでも内角攻めに果敢に踏み込み、逃げなかった。12球団最多となる679打席立っても集中力を落とさず、粘り強い打撃を徹底した。「難しかったですけど、シーズン中盤からやりがいを感じた。あまり打順にこだわりはなかったが、1番をこれからもやっていかないといけない。一番打席に立った中ではしっかり塁に出られたかなと思う」。駆け抜けた1年に手応えと自信を感じた。

 17年は「1番・遊撃」としてフルイニング出場を目標に、三振減と失策減を誓う。大下剛史や高橋慶彦、野村謙二郎など、広島の黄金期を彩ったリードオフマンの系譜に、自分の名前を刻む。【広島担当=前原淳】


☆元々「センス」で打つタイプで、昨年も打率は決して高くなかったのですが、1番バッターとして、出塁しようという意識は非常に高く、彼なりに苦心したんだと思います。また盗塁も、失敗も多かったのですが、28盗塁という数字は、「盗塁しよう」という、意欲の表れ。昨年、菊池の盗塁数が13と、膝の悪かった一昨年よりも減りましたが、田中くんの出塁率が高かったため菊池が盗塁してチャンスを作る必要があまりなかった、というのはあると思います。


☆結果として、田中くん個人の数字としては決して満足の行くものではなかったのかも知れませんが、チームとして見たら、田中くんが1番に固定できて役割をしっかり果たしてくれた、というのは、大きかったように思います。


☆加えてショートの守備も、エラーの数自体は多かったのですが、これはまーまーさん御指摘のように、弱肩を意識するあまり、捕ってから早く投げよう、という意識が強すぎてのもの。菊池とのコンビネーションも今年は見応えがあり、リーグ有数の二遊間、と言っていいと思います。


☆ベテランの新井さんやキクマルにも、もちろんチームを引っ張っていってほしいのですが、現有戦力の底上げ、ということを考えた時、新たな戦力の台頭とともに、誠也くんや田中くんあたりの更なる成長も、大事な要素になってきます。誠也くんについては本人も言っているように、数字やプレーのみならず、主力としての自覚、勝負強さや「芯を持った人間」になれるかどうか、また様々な形でのチームへの貢献など、形に表れない部分での成長ができるかどうかも、大きなポイントになってきます。また田中くんも、センターラインの一員として、1番バッターとして、どれだけチームに貢献できるか。エラーや盗塁の成功率、打率のアップなど個人的な課題をクリアしつつ、出来上がったチームに自分がどう関わっていくのか、そのために何を為すべきなのか。考えながら、成長しながらの1年になると思います。


☆誠也くんは交流戦、また田中くんはCSで「神ってる」活躍をしましたが、そういう目に見える活躍以上に、今のチームで彼らに求められるものは、たくさんあると思います。キャンプ・オープン戦の間に頭の中でそれらをきちんと整理し、把握して、しっかり準備する。その上で、シーズンでは思いっ切りプレーして下さい。


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source : K.Oのカープ・ブログ。