2017年7月3日月曜日

ヤクルトの選手は、これを見て昔を思い出せ!

高校

「1915年以来、甲子園大会は日本全国の高校野球の頂点を目指す戦いの場となった」
「毎夏、4000以上の高校がそれぞれの地区予選を戦い、
そしてその地区を勝ち抜いた49校が晴れて甲子園への切符を手に入れるのだ」
「各試合はノックアウト式で、負ければそこで夢が終わります」

















この動画は一本2〜3分なので短時間で観れる。
全て日本語であり、アメリカ人のために英語字幕が付いている。

この動画はアメリカ人が見て感じたままの日本の高校野球。
当然ながら高校野球連盟は試合を動画やテレビ等での公開は許しておらず、
ここに映し出されているものは試合以外の
球児や指導者のインタビューや試合後の姿ばかり。

しかしこの動画を観て、かなり目頭が熱くなった、不覚。
確かにプロ野球と高校野球は異質なものではあるがプレイしているのは同じ野球、
ヤクルトの選手は以前、
プロがほぼ確約された高校生やアマチュア選手だろうから
この動画に写っている高校生の気持ちとはかなり隔たりはあるだろうが
この動画を観たら、高校球児の時の純粋に野球に打ち込んでいた気持ちを思い出すのでは?
結局、ヤクルトの選手どもはプロに入ったのが最終地点であり、
応援してくれる人や感謝の気持ちなど
現在は、まるで感じていないようにしか見えない。
やはり大金を手にすると人間は良くない方向に行ってしまうようだな。
お前らな、人に対しての感謝の気持ちを大事にしろ。

最後にこの動画を教えてくれた女神様、感謝である。
それと武内! お前の師匠じゃ、その細い目をこじ開けて見て頭に焼き付けろ!
明日からは気合い再注入で大活躍よろしくである。

Jim Allen(デイリー読売コラムニスト)
高校野球の魅力の一つは、
今日の試合が最後になるかもしれないということを皆が知っている事です。
この試合に負ければ明日は無い。
更に3年生ならば文字通り最後の輝く瞬間になるわけで、
彼らは野球生活の全てをかけて戦います。  
プロ野球ならば40〜50試合負けたなら、
いいシーズンだったといえるでしょうが、
甲子園では試合に負けた瞬間、全てが終わり、
そして不幸なことに彼は過去の人になるわけです。
大変痛ましいことですが、
高校野球のファンたちはもう次のトーナメントの試合に気持ちを馳せ参じているわけです。

Marty Kuehnert(ジャパンタイムスコラムニスト)
日本人にとって高校野球とはアマチュアリズムの最後の砦かもしれません。
球児たちは純粋にゲームを戦い、
そして学校の名誉と郷土に対する愛を持って戦うわけです。
長い歴史を誇る高校野球の純粋な精神と、
例えば決してスマート(賢い)とは言えない
ファーストベースに向かってダイビングする行為も
全力をかけてプレーをしている姿が
おそらく日本人の心に響くのではないかと思いますし、
日本人はそういった雰囲気が好きなのでしょう。
それと、大半の高校のユニフォームは白を基調とし
学生は坊主刈りにしている姿にも人々は清々しい青年像を見出し、
過ぎ去った青春の思いと重ね合わせ、
そこに野球以上の何かを感じているのでしょう。

Robert Whiting (作家)
野球そのものが好きでもない人でも高校野球は別だという人がいます(私の妻のように)。
アメリカ人にとって高校生活は楽しむ為に行くもので
大学生になってから色々と真剣に取り組み始めますが、
日本ではどうも反対のようで、
例えば高校生活の中では厳しかったり苦しかったりする生活で
ちゃんとした人間形成がなされていくという考え方があります。
西洋の「スポーツ」に対する基本的な考え方は
楽しんで汗をかいて心身をリラックスさせるというものですが、
日本には西洋的スポーツの概念が存在しなかった為にスポーツは教育となりました。
ですから野球、特に高校野球は武道的な精神が取り入れられ、
アメリカ的ベースボールとは違った精神主義的な方向へと
発展していったものと思われます。

( Youtubeで、いただく、英語 2011.08.15 )
http://blog.livedoor.jp/itadaku_eigo/archives/5535504.html



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source : 梅造イズム(東京ヤクルトスワローズブログ)