2018年4月28日土曜日
【特別企画】追悼、衣笠祥雄さん~第1部、カープ関係者。
◇衣笠祥雄氏が死去 71歳 上行結腸がん「鉄人」2215試合連続出場 4/24(火) 13:07配信 スポーツ報知
プロ野球広島の中軸打者として活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が上行結腸がんのため、昨夜都内で死去したことが24日、分かった。71歳だった。葬儀・告別式は家族のみで執り行う。
衣笠氏は1947年1月18日、京都市生まれ。平安高で「4番・捕手」として64年に甲子園春夏連続出場を果たし、65年広島入団。内野手に転向し、68年からレギュラー。70年10月19日から87年の引退まで2215試合連続出場、17年連続全試合出場を達成し、計5度の優勝に貢献した。
76年に盗塁王、84年にMVPと打点王を獲得。87年に国民栄誉賞に輝き、96年に野球殿堂入りした。現役時代は通算2677試合で2543安打、打率2割7分、504本塁打、1448打点だった。右投右打。
衣笠氏は19日にBS―TBSで放送されたDeNA・巨人戦で解説を行ったが、声がかすれていて心配する声が視聴者から上がっていた。
◇衣笠氏貫いた“鉄人魂” 最後の解説も声振り絞り全う 「最後までグラウンドに…」 4/25(水) 7:34配信 スポニチアネックス
◇“鉄人”衣笠祥雄さん死去
衣笠氏は亡くなる4日前の19日、横浜スタジアムでDeNA―巨人戦を中継したBS―TBSの解説を務めたが、これが最後の公の場となった。親族に付き添われて球場を訪れたが頬がこけるなど痩せた姿が目立ち、放送では声が出せずにかすれていた。
衣笠氏と一緒に解説を務めた槙原寛己氏(スポニチ本紙評論家)は「痩せてつらそうで、長くしゃべれないのがもどかしそうでした」。当初は衣笠氏一人で解説の予定だったが、体調を心配した局側が槙原氏を急きょ呼んだという。
終了後に「今日はありがとう」と何度も言われて握手をしたのが最後になった。槙原氏は「物腰の柔らかい、解説と同じで温かい人。最後までグラウンドにいたいと、体調が悪いのは見せないようにしていた。そういう意味でも鉄人でした」としのんだ。
▼TBS戸崎貴広アナウンサー(19日の放送で実況を務める)打ち合わせの段階から声が出にくそうでしたが、放送開始と同時に声が1トーン高くなり、仕事に対する意志の強さを垣間見ました。
☆最後まで自分の全てで「生き抜いた」人でした。
◇ハマスタ、衣笠さんの背番号「3」揺れる ファン掲げる 4/24(火) 20:59配信 朝日新聞デジタル
(24日・プロ野球 広島7-2DeNA)
広島の球団応援歌「それ行けカープ」の歌声に合わせ、亡くなった衣笠祥雄さんの現役時代の背番号「3」の文字が揺れた。
24日夜、DeNA―広島戦が行われた横浜スタジアム。広島の七回の攻撃前、レフトスタンドでは白地に赤い文字で「3」と書き込まれた紙を多数のファンが掲げた。衣笠さんの訃報(ふほう)を知ったファンが試合前からツイッターで呼びかけ、DeNAファンからも賛同する声がツイッターに寄せられていた。
☆お通夜には、浩二さん、江夏さんらが訪れました。
◇衣笠さんの通夜に山本浩二さん・江夏豊さんら 4/24(火) 23:04配信 読売新聞
衣笠さんの通夜が24日夜、近親者のみで東京都内で行われ、現役時代のチームメートで公私ともに親交の深かった山本浩二さんや江夏豊さんが訪れた。
報道陣への対応はなかったが、広島の黄金時代を共に支えた鉄人の死を悼んだ。
☆以下、第1部は、カープ関係者の記事、まずはやはり、この人から。
◇衣笠氏死去 古葉竹識さん「何でかな…早すぎる」 4/24(火) 20:06配信 産経新聞
衣笠さんらを主力とする広島の監督として1975年に初優勝し、その後も衣笠さんと3度のリーグ優勝と日本一を遂げた古葉竹識・東京国際大野球部名誉監督(82)は「何でかな…。71歳は早すぎる」と教え子の死を悼んだ。
古葉さんが広島の監督に就任したのは75年のシーズン途中。衣笠さんは山本浩二さんと並ぶ中心選手で「自分たちが頑張らなくてはという気持ちにあふれていた」という頼もしい存在だった。
打撃不振に陥ると、本拠地・広島の試合では早出練習で打ち込み、遠征中は試合後にホテルへ戻ると黙々と素振りを続けた。「サチ(衣笠さん)は何としても調子を取り戻そうと必死だった」と回想する。
もっとも鮮烈な思い出は79年8月に巨人戦で死球を受け、左肩甲骨を骨折したときのことだ。「明日もベンチへ入ります。何としても試合に出してください」と直訴する衣笠さんへ「よし分かった。必ずチャンスはある。準備しておけ」と古葉さんも約束した。
翌日の試合に代打で出場し、まさに「鉄人」の異名にふさわしい伝説を残した衣笠さんは、87年で引退するまでに2215試合連続出場の世界記録(当時)を樹立した。
「一度はサチの指導者になった姿も見たかった」と残念がる古葉さん。「お疲れさま。ありがとうね」と、故人に呼びかけた。(三浦馨)
☆「何でかな」の一言に、古葉さんの無念さが表れています。
◇山本浩二氏 衣笠氏急死に悲痛「衣がいたからやってこれた…つらい」 4/24(火) 14:29配信 デイリースポーツ
元プロ野球広島で、「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄氏が死去したことが24日、分かった。71歳だった。ともに主軸を打ち、1975年の広島の初優勝に貢献した山本浩二氏(71)は24日、読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」に電話で生出演。訃報に「ビックリしたというか、まだ早いというか…先日の星野(仙一)といい、つらいですね」と1月に亡くなった星野仙一氏(享年70)に続き、盟友を失った悲しみを語った。
訃報には自宅で接した。先週、テレビで野球解説した姿を見ていたそうで、「声にちょっと元気がないなあ、と感じましたね」と明かし、「まさか…ね」と絶句した。衣笠氏は19日のDeNA-巨人戦でも解説を務めていたばかりだった。
体調不良は3年ぐらい前から聞いていたといい、「それから何度か会っていたんですけど…ね」と述懐。衣笠氏に捧げる言葉を聞かれると、「『ありがとう』ですかね。お互い成績を残せたのは、お互い負けたくない、って張り合ってたから。本当にありがとう…です」と語った。
そして「衣(きぬ)がいたから、私はやってこれた。(彼が休まないから私も)休みたくても休めない。いいお手本でしたね。良きライバルで、腹を割って話せる人でした」と感謝と尊敬の思いを伝えた。
衣笠氏が達成した2215試合連続出場は歴代日本1位で、世界でも歴代2位の大偉業で、「鉄人」と呼ばれた。
☆浩二さんは、星野さん、衣笠さんと、盟友を相次いで失ったことになります。
☆さらに親友の、江夏さん。
◇江夏豊「オレの宝だ。すぐに追い掛ける」衣笠氏悼む 4/24(火) 14:52配信 日刊スポーツ
江夏氏、ショック-「江夏の21球」などで23日に死去した元広島の衣笠祥雄さんと公私にわたる親交が広く知られる江夏豊氏(69=野球解説者)は24日、ショックを隠せない様子だ。この日、松山坊ちゃん球場でのヤクルト-阪神戦を解説するため、羽田空港から松山入り。松山空港で報道陣に対応した。
「ふ~っ」とため息をついた江夏氏は「しょうがないよな。順番だから」とポツリ。これまでの親交を振り返るように「いいヤツを友人に持ったよ。オレの宝物だ。どっちみちワシもすぐ追い掛ける。向こうの世界で野球談議をするよ」と寂しそうに話した。
☆江夏さんと衣笠さんと言えば、思い起こされるのは、「江夏の21球」。
◇江夏氏、衣笠氏の一言で生まれた「21球」…訃報に沈痛「宝物だった」 4/25(水) 7:38配信 スポニチアネックス
◇“鉄人”衣笠祥雄さん死去
「親友」衣笠祥雄氏の訃報を受け、江夏豊氏(69=野球評論家)は悲しみに暮れた。
松山・坊っちゃんスタジアムでのヤクルト―阪神戦のテレビ解説のため、東京から空路訪れた松山市内で「朝、(衣笠氏の)奥さんからの電話で知った」と話した。「宝物だった。青春時代をともに過ごした友人だ」
同戦が降雨中止となると「通夜に出る」と予定を変更して東京に折り返した。午後5時、松山空港で「今日は大変だ」と表情を曇らせた。「サチは今は独りで寂しいだろう。まあ、でも、今だけだよ。そのうち俺もそっちに行く。その時にまた野球談議ができる。ちょっとだけ待っていてほしいな」
衣笠氏の19日のテレビ解説の中継放送を見ていた江夏氏は翌20日、電話をかけた。
「あまりに声が出ていなかったので心配になった。“大丈夫か。養生しろよ”と話したんだ。その時は元気そうな声だったけどな」
遠くを見つめ「思い出は尽きないな」。阪神、南海(現ソフトバンク)を経て1978年、広島で衣笠氏と出会った。
79年にはリーグ優勝を果たした。近鉄との日本シリーズ第7戦で9回裏のピンチをしのいで日本一に輝いた。この投球を作家・山際淳司氏が「江夏の21球」として活写、テレビ番組にもなった。
無死満塁、ブルペンで救援投手が準備を始めた時、自身を信用していないのかと興奮した江夏氏を衣笠氏が一塁から歩み寄り「おまえにもし(ものことが)あったら、俺も同じようにユニホーム脱いでやるよ」と言って落ち着かせた。江夏氏は「その一言が心強かった」と話していた。 (内田 雅也)
☆一匹狼的な存在の江夏さん、衣笠さんは、その気持ちが分かったんでしょうね。そういう人を、放っておけない性分だったんだと思います。
◇江夏氏に聞いた衣笠氏の凄さ 遠征先でお酒の席から決まって抜け出し… 4/24(火) 16:35配信 スポニチアネックス
鉄人・衣笠祥雄氏死去のニュースを知った。プロ野球界の中でも“プロの中のプロ”と言っても誰も文句は言わないだろう。記者は直接取材した経験はないが、衣笠氏の盟友ともいえる江夏豊氏から聞いた話で、ずっと尊敬の念を抱いていた。
話は古くなるが、衣笠氏、山本浩二氏とともに広島のユニホームを着て赤ヘルを支えた江夏氏。1979年、近鉄との日本シリーズ第7戦で無死満塁を切り抜けた“江夏の21球”は今でも球界の語り草になっている。記者が日本ハム担当時代、移籍してきた江夏氏は広島時代の話をよくしてくれた。山本氏については「ある試合で浩二が難しい球をタイムリーヒットしてな。ベンチに帰ってきた浩二に“ナイスバッティング”と声を掛けたんや。そうしたら“いや、初球の甘い球を打っていたら、あんなに苦労してヒットを打つことはなかった”と。やはり本物のプロやな」と思ったという。
一匹狼と言われた江夏氏だが衣笠氏とはウマがあった。遠征先でよく2人で食事やお酒の席も共にした。すると途中で衣笠氏は決まって「ユタカ(江夏氏)飲んでてくれ」と言って30~40分くらい店を出ていくという。何回も続くから江夏氏が「いつもどこに行ってるんや?」と聞くと「どうしてもバット振らないと気がすまん。だからホテルの部屋に戻って振ってくるんだ」と説明したという。実績も築き中心打者になっても努力を怠らない。江夏氏はつくづく衣笠氏の野球への探究心、強い思いを感じたという。
本物のプロが本物を知る。記者は江夏氏からだが、プロとはどういう人のことを言うのかを教えてもらった貴重な体験だった。(落合 紳哉)
☆優しくて、誠実で、真面目で、素直な人。そして、野球を愛した人。
◇「野球を一番愛していたのがキヌさん」ソフトB達川ヘッド、広島の先輩・衣笠氏悼む 4/24(火) 16:38配信 スポニチアネックス
プロ野球の広島で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が23日、上行結腸がんのため71歳で死去。現役時代に広島でともに戦った、ソフトバンクの達川光男ヘッドコーチ(62)は「野球を一番愛していたのがキヌさん」と悼んだ。
「捕手出身で捕手の心理を教えてくれた。野球を一番愛していたのがキヌさん。マウンドでは『カッカするな』とよく怒られた。ずっと毎日試合に出る体力は凄いと思った」
▼ソフトバンク・工藤監督 どこまで飛ばすんだというフルスイングが印象に残っている。試合に出る強い精神力は学ぶことがあった。名球会に入ったとき「若い人たちで頑張っていくんだぞ」と。いつも笑顔で「頑張れよ」と言ってくれた。
☆かつての同僚も、悲しみの声。
◇衣笠氏突然の訃報に広島時代の同僚から悲しみの声…大下氏「悲しいより寂しい」 4/24(火) 19:25配信 スポニチアネックス
プロ野球の広島で活躍した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が23日、上行結腸がんのため、都内で死去した。71歳。2215試合連続出場した“鉄人”の突然の訃報に、広島時代の同僚から悲しみの声が寄せられた。
▼大下剛史氏の話 悲しいというより寂しい。二遊間を組んでいた(三村)敏之が逝って、今度はサチ。これで75年の初優勝メンバーの内野手は私とホプキンスだけになってしまった。
▼北別府学氏の話 現役中、サードに衣笠先輩がいるだけで安心した。尊敬する偉大な先輩。あまりに急なことでまだ信じられない。
▼大野豊氏の話 広島のではなく、世界の衣笠さん。残念で寂しい。現役も一緒にやらせてもらって、マウンドによく声を掛けに来ていただいた。怒られたことは一度もない。いつも優しく元気づけられた。頼りになる方だった。
▼小早川毅彦氏の話 プロとしての厳しさ、責任感を教わり感謝し切れない。アドバイスは技術的なことより精神的なことが多かった。ユニホームの着こなしから帽子のかぶり方まで。若手のお手本だったし、チームの後輩にとっては優しい先輩だった。
▼山崎隆造氏の話 ただただ、びっくりしている。一回りも違う私にも、本当に良くしてもらった。現役のころは話をするというより、ただ格好良くておしゃれで、憧れだった。
▼安仁屋宗八氏の話 見かけのイメージとは違い、誰に対しても優しかったし、とても紳士的な話し方をする男だった。「鉄人」と呼ばれたんだから、いつまでも元気でいてほしかった。これからも1人のOBとして、天国からカープの戦いを見守ってもらいたい。
◇北別府学氏、衣笠氏の訃報を信じられず「気が動転しています」 4/24(火) 14:57配信 サンケイスポーツ
プロ野球広島で活躍し、プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が死去したことが24日、関係者の話で分かった。71歳。京都府出身。
元広島投手の北別府学氏(60)はこの日、自身のブログで衣笠氏の訃報に触れ、「言葉もありません。衣笠祥雄さんとの思い出は沢山ありすぎるくらいです。すいません、まだ信じられなくて何も書けません。気が動転しています」とショックを隠しきれない様子だった。
◇安仁屋宗八氏 衣笠氏訃報に「鉄人なんだから元気でいてほしかった」 4/25(水) 6:01配信 デイリースポーツ
プロ野球広島で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が23日、上行結腸がんのため亡くなった。71歳だった。デイリースポーツ評論家で広島カープOB会長の安仁屋宗八氏は24日、かつての盟友を悼んだ。
◇ ◇
サチよ、あまりにも早いんじゃないか。体調が悪いのは聞いていたけど、まさかと耳を疑った。年齢もワシよりも2つも下だろう?そんなに早く逝くなんて、ちょっと順番が違うんじゃないか。
豪快な男だった。入団1年目から水色の大きなフォードに乗っていた。ある日、合宿所で白石監督の小さな国産クーペに横付けし、白石監督から「なんで監督よりもでっかい車に乗ってるんだ!」と怒られてもサチは平気な顔をしていた。
入団時は捕手だったのでワシもバッテリーをよく組んだ。ある試合で阪神の和田徹という選手に本塁打を打たれた。京都出身で高校まで阪神ファンだったサチがニヤっとしたように見えたので、「まさかお前、サインを教えたんじゃないだろうな」と冗談めかして文句を言ったことも懐かしい思い出だ。次の日、サチは村山(実)さんからプロ1号。記念のペンダントを自分で作って首からうれしそうにぶら下げていた。
三塁転向後はエラーが多くて、しばしば足を引っ張られた。「お前のおかげで何勝損してると思っているんだ」とワシが小言を言うと、「安仁屋さん、エラーには目をつぶってくださいよ。必ず打って取り返しますから」と言い返された。
人一倍、練習熱心で遠征先でも試合後、宿舎に戻ると、よく部屋の中でバットを振っていた。いつも一匹狼で、現役時代はグラウンド外ではほとんど付き合うことはなかったけど、見かけのイメージとは違い、誰に対しても優しかったし、とても紳士的な話し方をする男だった。
“鉄人”と呼ばれた男なんだから、いつまでも元気でいてほしかった。これからもOBの1人として、天国からカープの3連覇と日本一を見守ってほしい。
◇広島V1助っ人シェーン氏、衣笠さん「安らかに」 2018年4月26日7時12分 日刊スポーツ
上行結腸がんのため23日に71歳で死去した元広島内野手の衣笠祥雄氏の訃報に、赤ヘルV1助っ人が哀悼コメントを寄せた。リッチー・シェーン氏(75=本名リッチー・シェインブラム)は、75年に来日。明るい性格でムードメーカーとなり、衣笠氏、山本浩二氏、ゲイル・ホプキンス氏らとともに強力打線の一翼を担った。
「サチ(衣笠氏)は素晴らしい友人で、偉大なチームメートだった。いつもスマイルを絶やさず、誰に対しても親切だった。彼は選手として、守備、スピード、そしてパワーと、すべてを兼ね備えた選手だった」と懐かしそうに当時を振り返った。
シェーン氏は75年5月17日大洋戦(那覇)で、プロ野球初の1試合左右両打席本塁打を達成した。同年10月15日巨人戦(後楽園)で広島が球団初のセ・リーグ優勝を決めた試合でも6番右翼で先発出場。胴上げのシーンでは金髪を振り乱し、5番三塁の衣笠氏らと喜びを分かち合った。「どうか安らかに眠ってほしい」と元同僚の冥福を祈っていた。
☆K.O的には、サード、そして背番号3は、長嶋さんより、衣笠さん。国民栄誉賞や連続試合出場の記録で「世界の衣笠」となっても、K.Oにとってはやっぱり「カープのスター」「広島のスター」でした。
◇衣笠さん死去 広島時代後輩が悼む 大野氏「頼りになる方」野村氏「調子悪い時に激励を」 4/24(火) 16:20配信 スポニチアネックス
プロ野球の広島で活躍した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が23日、上行結腸がんのため、都内で死去した。71歳。2215試合連続出場した“鉄人”の突然の訃報に、広島時代の同僚から悲しみの声が寄せられた。
▼大野豊氏 3年前ほど前に知人を通じて体調が悪いと聞いていた。残念でさみしい。広島の…ではなく、世界の衣笠さんだから。現役も一緒やらせてもらった。マウンドによく声をかけに来ていただいた。怒られたことは一度もない。いつも優しく元気づけられた。頼りになる方だった。体は大きくないけど、三振を恐れない豪快なスイングをする打者で、体の強さがあった。死球を受けて骨折し、さすがに連続出場が止まるかも…と思ったときも試合に出てきた。野球に対する思いが強い方だった。
▼野村謙二郎氏 初優勝の時から山本浩二さんとお二人でカープを引っ張られ、カープと言えば、浩二さんと衣笠さんだった。そんなレジェンドの方が亡くなってさみしい。現役のころは調子が悪いと叱るというよりも激励してくれた。監督になった時も「いろんなことを言われるかもしれないが、思い切ってやればいい」と声をかけていただいた。本当に優しい方だった。
◇<衣笠さん死去>「背中でチーム引っ張った」後輩の大野さん 4/24(火) 21:54配信 毎日新聞
71歳で23日に急逝した元プロ野球の広島の衣笠祥雄さん。2215試合連続試合出場を果たした「鉄人」も最後は病に倒れた。衣笠さんと約10年間、現役を共にしたスポーツニッポン新聞社評論家、大野豊さん(62)は「骨折しても試合に出続ける自分のスタイルを貫き、背中でチームを引っ張っていく人だった」と惜しんだ。
大野さんが入団した1977年は、2年前に広島がセ・リーグ優勝を果たし、常勝球団へと変わりつつある時だった。選手たちも山本浩二さん(71)ら個性派ぞろいだったが、衣笠さんは「思いやりがあり、後輩として一緒にいて心が安らぐ存在」だったという。怒鳴られたことは一度もなく、現役時代から誰に対しても紳士的な振る舞いを崩さなかったという。
特に印象に残っているのは、79年8月の対巨人戦での死球。骨折しながら翌日からも試合に出続けた衣笠さんを「テーピングで固められ、とてもバットを振れる状態じゃなかった。でも、キヌさんは『大丈夫だ』と代打で出て、3球三振した。チームの士気が上がらないわけがない」と振り返った。連続試合出場が続いただけでなく、チームメートに戦う姿を示し、広島はその年に初の日本一に輝いた。
大野さんが駆け出しだったころは「お前は真っすぐが速いんだから、真っすぐで勝負せえ」と叱咤(しった)激励されたという。大野さんは「衣笠さんは野球が大好きで、全てのことから逃げない人だった。できることなら、どんな野球をするのか、監督姿を見たかった」と寂しがった。【田中将隆】
◇金本監督 衣笠氏“鉄人魂”継承誓う「思いを大事にしていく」 4/25(水) 7:22配信 スポニチアネックス
◇“鉄人”衣笠祥雄さん死去
ヤクルト戦が雨天中止となった24日、松山・坊っちゃんスタジアムでは阪神・金本知憲監督(50)、鳥谷敬内野手(36)が衣笠氏の死去を悼み、鉄人魂の継承を誓った。広島出身の金本監督にとっては幼少期のヒーローで、同じユニホームを着た大先輩だ。
「最近は名球会とかでお会いして“体調がお悪いと聞きましたが…。大丈夫ですか?”という質問もしたんですけど、“元気だよ”と言ってくれていたので、本当にびっくりしています。休まず出る、少々のケガでも出るというのは、やっぱりカープの時の衣笠さんという存在が大きかった。星野さんが亡くなられた時もそうでしたが、やっぱり、それぞれの方の思いとか、やってきたことを僕が継承していく…と言えばオーバーですけど、諸先輩方の思いを大事にしてやっていきたい」
1492試合連続フルイニング出場の世界記録保持者で、1766試合連続出場は歴代3位。偉大な先人がいたからこそ鉄人記録も脚光を浴びた。
「うちの母親がファンだった。家でゴリさん、ゴリさんと言ってね。俺が野球を見るきっかけになったのも、母親がカープの衣笠さんを好きになって。やっぱりキヌさんの、カープの先輩の記録を目指すわけじゃないけど、休まないということに関しては一番影響を受けた人ですから」
鳥谷は歴代2位の1914試合連続出場を継続中。「あいさつぐらいですけど“頑張って”という声はかけていただきました」と神妙な表情を浮かべた。今季は調子が上がらず、代打や守備固めで出場を続けている現状。「自分の状態を上げていくしかない」と“鉄人”としての巻き返しを期した。
◇高橋慶彦氏、衣笠氏死去にツイッター「どんな言葉を探しても見つかりません」 4/25(水) 7:00配信 サンケイスポーツ
プロ野球元広島の衣笠祥雄氏が23日夜、上行結腸がんのため、東京都内で死去した。関係者が24日、明らかにした。
衣笠氏を慕っていた高橋慶彦氏(元広島ほか)は「気持ちはツイッターに書いたからそっちでみて」とだけ語った。ツイッターでは「今日衣笠さんが天に野球をしに行ってしまいました。大好き、素晴らしい先輩、いろいろな言葉が有ると想いますが、どんな言葉を探しても見つかりません、コメントをと言われましたが言葉で表すことが出来ません。言えることは私も野球をしにゆくのでその日まで待ってて下さいと言うことです」などとつづった。
◇【中日】長嶋コーチ、衣笠氏訃報に「一番優しく教えてくれた」 4/24(火) 19:15配信 スポーツ報知
中日・長嶋清幸外野守備走塁コーチ(56)が、広島時代にチームメートだった先輩の、衣笠祥雄氏の訃報に肩を落とした。
「言いようがない。カープに入って、高校生のがきんちょに、イチからいろんなことを、一番優しく教えてくれた。あの人がいたからレギュラーとしての役割、故障の目安ができた。衣笠さんがいてくれたから強い自分を保てた」と当時を振り返った。
自身はドラフト外での入団からはい上がり、勝負強い打撃と堅守で、1984年には阪急との日本シリーズでMVPを獲得。80年代の広島黄金時代をともに支えた。「(体調が)悪いとは聞いていたけど…」と最後まで信じられない様子だった。
☆長くカープのトレーナーを務めた、福永さん。
◇<衣笠さん死去>反射神経が鋭く、体にバネ 広島トレーナー 4/24(火) 19:37配信 毎日新聞
現役時代の衣笠祥雄さんの体をケアした広島トレーナー部アドバイザーの福永富雄さん(75)は、今も衣笠さんの「鉄人」ぶりをよく覚えている。
「左手首に右手親指、そして左肩甲骨……」。衣笠さんの骨折箇所が、次々と福永さんの口から飛び出してくる。どんな時でも衣笠さんは「野球が好きだ」と言い張り、試合に出続けた。福永さんは「ポジションを奪われないために、懸命に頑張っていた気がする」とその心情をおもんぱかった。
反射神経が鋭く、体が柔軟でバネがあった衣笠さん。けがを抱えながらも、打って、守って、走った。そんな衣笠さんに、福永さんは驚きの連続だったという。一方で痛みにも強かった。死球を受けても顔色一つ変えず、福永さんやチームに知らせずに一人で病院に行き、レントゲン写真を見ただけで帰ってきたこともあった。「治るのかという不安もあったのだろう」と福永さん。プレーに専念させるため、「昨日と比べてどうや?」とだけ声をかけた。衣笠さんから「悪くない」と返ってくれば、「じゃあ大丈夫。そのうち治るよ」。そんな会話が常だった。
引退後も親交は続き、最後の会話は今月17日。衣笠さんから直接電話があった。「大変なんだ」。現在の病状を説明する口調には、かつて「鉄人」と呼ばれた面影はなかったという。【福田智沙】
☆最後は、緒方監督と、誠也くん。
◇鉄人・衣笠氏死去 広島・緒方監督「信じられない」 4/24(火) 23:30配信 産経新聞
この日、横浜スタジアムでDeNAとの首位攻防戦に臨んだ広島は「遺族の意向」を理由に練習前、チームを代表して緒方監督だけが報道陣の取材に応じた。
1987年入団で、衣笠さんと現役が1年だけ重なっている指揮官は「突然の訃報で信じられない気持ち」と沈痛な表情。「カープの初優勝から黄金時代にかけ、中心選手として頑張ってこられた尊敬する大先輩」と急逝を惜しんだ。
一昨年、25年ぶりのリーグ優勝を遂げたときには「『ここから常勝チーム、強いカープをつくり上げてくれ』」との言葉をいただいた」という。「シーズン終了後には優勝、そして日本一の報告ができるように精いっぱい戦っていきたい」と誓った。
◇誠也 衣笠氏にフル出場の誓い 掛けられた言葉「野球人生で一生、消えることはない」 4/24(火) 18:03配信 スポニチアネックス
広島・鈴木誠也外野手(24)が上行結腸がんのため23日に死去した衣笠祥雄氏(享年71)にフル出場の誓いを立てた。
鈴木は訃報を受け「おととしくらいに、レギュラーで出る以上は、とにかく休むな。チームのため、ファンのためにしっかり(試合に)出ないと、という言葉を頂いた」と振り返った。世界の鉄人からの激励に「その言葉は野球人生で一生、消えることはない」と表情を引き締めた。
今月4日に下半身の張りのために出場選手登録を抹消されただけに「すごく悔しい思いだった」と言う。この日は今月18日に再登録されて以来、初めて「5番右翼」でスタメン出場。「偉大な先輩に少しでも近づけるようになりたい」と決意を胸に試合に臨んだ。
☆28日からの3連戦は、追悼試合となります。
◇広島が衣笠氏追悼試合=28日からの阪神3連戦 4/25(水) 19:28配信 時事通信
広島は25日、球団OBで23日に死去した衣笠祥雄さんを悼み、28日からの阪神3連戦(マツダスタジアム)で監督、コーチ、選手らが喪章を着用すると発表した。28日の試合前には黙とうをささげる。
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source : K.Oのカープ・ブログ。