2019年10月28日月曜日
最近のカープ、あれこれ~'19.10.18、エラーの悔しさ・会沢残留の意義・日々成長中。
☆さて、今シーズン、田中くんの離脱によってシーズン後半はスタメン出場の続いた、小園くん。
◇広島・小園海斗 一軍の厳しさ知ったエラー/あの悔しさを胸に…… 10/17(木) 12:02配信 週刊ベースボールONLINE
小園海斗には忘れられない試合がある。6月22日、オリックス戦(マツダ広島)。デビューから3試合連続となる「一番・遊撃」で先発。0対0の6回表、無死一塁での守りで併殺コースのゴロをトンネルし、この回3失点のきっかけを作った。これがこの日2つ目の失策で、3戦連続計4失策となった。ワンプレーが勝敗に直結する一軍のシビアさを嫌というほど味わった。
デビュー戦となった20日のロッテ戦(マツダ広島)ではプロ初打席初安打を記録し、失策も記録したがチームは勝った。21日のオリックス戦(マツダ広島)は1点リードの9回一死から失策を犯し、直後に吉田正の2ランが出て逆転負けした。それを受けてのプロ3戦目。大事にいこうとして足が止まったことが悔しかった。周囲から「切り替えろ」「思い切っていけ」と声を掛けられた。余計に悔しさが募り、涙が出た。
それから小園は、迷わなくなった。迷ったら一歩前に出ればいい。ちゅうちょして動かないことほど悔しいことはない。内野が天然芝で、日本で最も守るのが難しいと言われるマツダ広島では、どうしても失策は出る。ならば、悔いのない動きをしよう。そんな思いが、足さばきやスローイングに表れるようになった。二軍落ちも経験したが「いつかこの経験がよかったと思えるように頑張りたい」と前を向いた。
シーズン終盤は下位打線に入り、遊撃で起用されるようになった。小園は来季も、恐れずに前に進む。
☆今シーズンの小園くんは、58試合に出場、188打数40安打、打率.213。本塁打4、打点16、失策は、9。もちろんご存知のように、小園くんは守備が下手な訳では決してありません。しなやかな動き、捕ってからの送球の速さなど、どれを取っても一流のショートになれる素材。アマチュアの時から大舞台を踏むなど、経験豊富な小園くんですが、それでもプロの1軍の試合というのは、それだけ大変なプレッシャーがかかる、ということ。日本シリーズでも山本くんや増田大くんがミスをしてましたが、経験というものがいかに大切か、ということ。
☆今年の成績は、高卒1年目ルーキーとしては、上々。でも、小園くんの資質、そしてチームが優勝を争っていたことを考えると、満足いく成績ではない。小園くん本人もエラーも含め、納得はしていないでしょう。
☆タナキキマルのうち、「タナマル」がいなかった訳ですから、チーム力が下がるのは、当然。単に攻撃力のみならず、むしろ守備、そしてチームの中心として、タナマルの存在は大きい。もちろん小園くんに田中くんの代わりをしろというのは無理な話で、そういう意味ではちょっと小園くんもかわいそう、という面もありました。
☆ただ、逆に言うと、高卒1年目からそういうところで使ってもらったというのは、小園くんにとって、何にも代えがたい経験となったはず。来季、スタメンがどうなるかは分かりませんが、今年1年の経験によって、小園くんがさらに楽しみな存在になった、というのは言えると思います。
☆お次は、会沢。
◇チーム崩壊のピンチを免れた広島。 會澤翼の残留がもたらす意義はでかい 10/18(金) 6:50配信 webスポルティーバ
争奪戦が予想された広島・會澤翼のFA去就だったが、意外にも早く"残留"という形で決着した。広島の精神的支柱である會澤の下した結論に、球団やファンだけでなく、チームメイトも安堵した。
リーグ3連覇のカープに會澤翼あり。チームに一体感をもたらした男気
仮に、會澤が移籍していたら、広島は正捕手を失うだけの損失では済まされなかったに違いない。昨年、新井貴浩が引退し、丸佳浩がFAで巨人に移籍した。3連覇の礎となった黒田博樹、新井の復帰から芽生えた、広島の伝統の継承者が少なくなることは、チームの弱体化につながりかねない。
広島の伝統を受け継ぐ者は、天才肌でスマートに結果を残すようなタイプではないような気がする。黒田も新井もいわゆる"叩き上げ"で、何度も挫折を味わい、そこから這い上がり地位を築いた。
シーズンが終了したばかりの頃、チーム内では「アツさん(會澤の愛称)がいなくなったらチームはヤバい......」という声が聞かれた。黒田、新井、丸に続き、會澤まで失うと、再び低迷期に入ってしまうのではないか----。そんな危機感がチーム内に漂っていた。
"會澤残留"は、近い将来だけでなく、長期的な視点から見ても、広島にとって大きな意味を持つ。チームの骨格を担える人材はそういないが、會澤は間違いなくそのひとりである。
2006年秋、會澤は高校生ドラフト3位で広島から指名を受けた。1位は、現在メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースで活躍するPL学園の前田健太だった。すでに前田は全国区で、スター性も併せ持つ将来のエース候補。それに対し會澤は、甲子園出場もない無名選手。そのためか「目立ってなんぼ」と、新人選手入団会見では、あごひげを蓄え、気合いの入った学生服で登壇した。
プロとしての第一歩は衝撃的だったが、実戦デビューもまた衝撃的だった。2007年5月2日、ウエスタンリーグのサーパス(オリックス)戦で、先発・近藤一樹(現ヤクルト)の完全試合目前の9回二死から代打で登場すると、カウント2-2からの5球目に頭部へ死球を受けた。そのまま會澤は救急車で運ばれ、近藤は危険球退場となり、大記録は潰えた。
アマチュア時代は無名の存在だった會澤だったが、プロでは1年目から首脳陣の評価は高かった。二軍とはいえ、高卒1年目で打率.273をマークし、本塁打も放った。1年目の一軍昇格はならなかったが、2年目の春季キャンプで、ブラウン監督(当時)は會澤を一軍に昇格させようとした。ところが合流前日、守備練習でフェンスに激突し、左肩を亜脱臼。離脱を余儀なくされただけでなく、もともと脱臼癖があったため手術を決意。結局、2年目のシーズンは一軍デビューどころか、二軍のグラウンドにも立つことができなかった。
それでも、會澤の心が折れることはなかった。3年目の2009年は、前年幻に終わった春季キャンプで一軍合流を果たし、5月には一軍デビュー。初安打も記録した。
ただ、当時の広島の捕手には石原慶幸、倉義和という2枚看板が君臨しており、會澤の前に大きく立ちはだかった。2012年は持ち前の打力を生かすため、外野に挑戦。「1番・ライト」でスタメン出場したこともあった。
その後も一軍での出場機会を増やしていった會澤だが、打力だけでなく捕手としての成長を買われての起用だった。先輩捕手の配球をメモし、何度も映像を見て研究を重ねた。捕手として、自分の色を押し出すタイプではなく、投手の特長を引き出すタイプ。なにより大事にするのは、投手陣とのコミュニケーションだ。
投手に頻繁に声をかけ、観察する。たとえ短い会話でも、表情や声のトーン、発し方などから性格や感情を読み取る。キャリアを積み重ね、広島投手陣を知ることで、捕手としての深みも増していった。
2015年に、これまで背中を追い続けた石原の出場試合数を初めて上回り、2017年からは3年連続でシーズン100試合以上に出場。シーズン3度目の2ケタ本塁打、2年連続2ケタ本塁打は、いずれも広島の捕手としては史上初だった。
2018年には小窪哲也前選手会長や新井、石原らの推薦を受けて、選手会長に就任。黒田、新井がチームに植えつけた新たな伝統を重んじ、"一体感"をテーマに掲げ、チームを3連覇に導いた。バッテリーを組んだ黒田や、グラウンド内外で多くの時間を過ごした新井から学んだことは数えきれない。
上位争いが佳境となった今シーズンの最終盤、満身創痍のなか、會澤はグラウンドに立ち続けた。もともと体は強いほうじゃない。正捕手として身を挺して本塁を守ってきた証であるアザは1つや2つではない。それでも「死にもの狂いでやる」と、最後まで先頭に立ってチームを引っ張った。
広島の伝統は、新井が「家族」と表現した一体感だけではない。チームプレーの精神であり、自己犠牲であり、全力を尽くす姿勢であり、そして凡事徹底----。
今年、巨人の優勝に貢献した丸の野球に取り組む姿勢、打席での思考、結果への探求心は広島で学んだものだ。それが巨人の若手の見本になったのは間違いない。当たり前のことを当たり前にやり続けることは、簡単なようで難しい。優勝争いができる戦力を擁しながら、Bクラスに終わった広島にとっては、あらためて"伝統継承者"の存在の重要性を感じさせられたことだろう。
昨年、丸との交渉では提示金額の報道ばかり先行したことで、球団の慰留姿勢も尻すぼみした印象がある。その反省からか、今年はFA選手との交渉内容を黙秘し続ける。會澤との交渉も、鈴木清明球団本部長は「途中経過は言いません」と、最後まで口を閉ざした。
FA権は選手が取得した権利であり、誰だって他球団からの評価を聞いてみたいと思うのは当然だ。実際、現代野球に求められる"打てる捕手"として、侍ジャパンにも選出された會澤の他球団からの評価は高かった。もちろん、そのことは會澤の耳にも入っていたはずだ。それでも早期決着したのは、「あまり悩むのは好きじゃない」と語る會澤の男気だった。
「今年Bクラスになって、この悔しさを晴らすのはどこかって思った時に、他球団じゃないなって......」
球団の伝統は、選手たちによって受け継がれるものであり、よき伝統がしっかり受け継がれているチームは安定感がある。4年ぶりBクラスに甘んじた広島だが、會澤翼という大黒柱とともに再出発を切ることができる。背番号27に課せられた使命は重い。
前原淳●文
☆マエケンもそうでしたが、日本一になってからよそへ行けってんですよ、丸は。そういうところでカープで野球をやってた訳じゃないんだ、ってのが、K.Oは一番ショックだったんですよね、丸のFAは。
☆評価なんてのは、自分ですればいい。それよりも、自分が、どこで、何をやりたいのか。今年1年、丸のプレーを見ていて、やっぱり何がしたかったのか、K.Oには分かりませんでしたね。打率・本塁打・打点と、全て昨年を下回ってます。しかも昨年は125試合、今年は143試合ですからね。スイングも相変わらずホームランを狙うようなスイングですが、ホームランの数は39本から27本へと減ってます。
☆巨人に行きたかった、関東に行きたかった、お金がほしかった。それら全てが「カープで日本一になること」を上回ったのだとしたら、やはりカープファンのK.Oとしては、「ああ、そうですか」としか言いようがない。
☆会沢は、最高の形で残ってくれたと思います。
☆おしまいは、ちょっと前の記事ですが。
◇広島 羽月隆太郎は玉木コーチからの猛烈指導で、日々成長中! 7/4(木) 6:06配信 広島アスリートマガジン
同じく高卒ルーキーの林、中神と共に今季から二軍の内野守備・走塁コーチに就任した玉木コーチから熱い指導を受けている羽月。
「玉木さんからの指導は本当に感謝しています。僕のような選手にあれだけ指導してくださるのも普通だったらないんじゃないかと思います。体力面も強くなってきましたし、1日経つ度に成長できていると思います」
50メートルを5秒台で駆ける脚力と甲子園で2本の三塁打をマークした巧打の持ち主には機動力野球の後継者として期待がかかる。
「打撃コーチからは、とにかくライナー性の打球を打つように言われています。木製バットは全然感触が違うので最初は苦労しましたが、徐々に慣れてきました」
ドラフト7位指名と下位入団ながら、30試合以上に出場。1試合1試合がプロのレベルを体感する貴重な体験であるに違いない。
「二軍で試合に出させてもらっているだけでも本当にありがたいことです。まだまだ実力は足りませんが、結果をしっかり出して、どんどんうまくなっていきたいです!」
将来の二遊間を担うべく、若鯉は今日も二軍で鍛錬を積んでいく。
(広島アスリートマガジン2019年7月号から一部抜粋・続きは本誌にて掲載)
▼ 羽月隆太郎(はつきりゅうたろう)
2000年4月19日生、宮崎県出身/167cm 70kg/右投左打/内野手プロ1年目・19歳/神村学園高-広島(18年ドラフト7位)
☆いやいや羽月くん、ドラフト7位ながら、ファームで217打数65安打、打率.300。これは200打数以上では、メヒアに次いでチーム2位の打率。盗塁も23と、足も見せてくれました。ルーキーの中では一番期待されてなかったと思うのですが(笑)、いやいや、K.O的に、注目度ナンバーワンですよ。
☆赤松が引退しましたから、まずは足のスペシャリストになってほしい。で、バッティングも頑張って、カープらしい選手として、優勝に貢献できる選手になってほしいですね。
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source : K.Oのカープ・ブログ。