2020年1月1日水曜日

最近のカープ、あれこれ~'19.12.30、IN/OUT・予想オーダー・10大ニュース。


☆さて、今年も去る人あり来る人あり、ということで、こんな記事。


◇覇権奪還へ!確実に補強を進めた赤ヘル軍団 広島・2019年内の「IN/OUT」まとめ 12/30(月) 15:00配信 ベースボールキング

◆ 助っ投を入れ替え

 リーグ4連覇を目指した今季は、丸佳浩が移籍した巨人の後塵を拝した広島。最後の最後でCS進出も逃し、緒方孝市監督が責任をとる形で辞任した。来季は佐々岡真司新監督のもと巻き返しを図る。

 セ・リーグでは巨人以外で初の3連覇を成し遂げ、“黄金時代”到来とも言われていたカープ。そのチームを支えてきた男たちに今季も退団の可能性があったが、国内FA権を取得していた會澤翼と、メジャー移籍を目指していた菊池涼介がともに残留決定。レギュラークラスで大きな戦力ダウンは免れた。

 ストーブリーグで動いたのは外国人投手の入れ替え。不振に終わったローレンス、ヘルウェグに加え、前半戦で好投を見せていた左腕・レグナルトも退団。代わりに迎えたのがメジャー経験のあるDJ・ジョンソン、テイラー・スコットという2人のパワーピッチャーだ。ともに身長190センチ以上で最速150キロオーバーの速球を投げ込む巨漢のリリーバー。課題のブルペン強化を的確に進めた。

 ドラフトでは大学球界ナンバーワンとの呼び声高かった森下暢仁(明治大)を一巡目で一本釣り。三巡目以降で高卒選手の有望株を獲得し、ドラフトでも計画的に新戦力確保を実行した。

 また、補強ではないが、不振に喘いだ田中広輔は8月に右ひざの手術に踏み切り、早々に2019年シーズンを終了。これも来季の開幕へ向けた準備と、前向きにとらえたい。屈辱の2019年シーズンを経て覇権奪還へ、来季は新生・赤ヘル軍団に注目だ。


◆ 2019年内のIN/OUTまとめ

【IN】

▼ 補強
<投手>
DJ・ジョンソン
テイラー・スコット

<外野手>
ホセ・ピレラ

▼ ドラフト
<投手>
森下暢仁(1位/明治大)
鈴木寛人(3位/霞ケ浦高)
玉村昇悟(6位/丹生高)
畝 章真(育3位/香川オリーブガイナーズ)

<捕手>
石原貴規(5位/天理大)
持丸泰輝(育1位/旭川大高)

<内野手>
韮澤雄也(4位/花咲徳栄高)

<外野手>
宇草孔基(2位/法政大)
木下元秀(育2位/敦賀気比高)


【OUT】

▼ 現役引退
永川勝浩
赤松真人

▼ 自由契約
<投手>
横山弘樹 ⇒ 現役引退
飯田哲矢 ⇒ 現役引退
カイル・レグナルト
ジョニー・ヘルウェグ
長井良太
ケーシー・ローレンス

<捕手>
船越涼太

<内野手>
庄司隼人 ⇒ 現役引退
フアン・サンタナ

<外野手>
岩本貴裕 ⇒ 現役引退


☆レグナルト・ヘルウェグに代わり、DJジョンソン・スコットと、右の中継ぎを獲得。ほんとはレグナルトに代わる左の中継ぎが欲しかったところですが、この辺は恭平くん・塹江くんに頑張ってもらいましょう。


☆で、ヘルウェグ・ローレンスはほとんど1軍で働いてませんでしたから、DJジョンソン・スコットの2人が1軍で戦力になれば、昨年よりは上積み、ということになります。


☆ただし、外国人枠は、4人。ジョンソン・フランスアにピレラを使えば、残り1枠。DJジョンソン・スコット・モンティージャ・メヒアに、契約すればバティスタの5人で1枠を争うことになります。


☆お次は、


◇【広島2020年予想オーダー】新外国人のピレラがどこにハマるか? 12/30(月) 10:59配信 週刊ベースボールONLINE

【2020広島予想オーダー】
1(中)△野間峻祥
2(二) 菊池涼介
3(左)△西川龍馬
4(右) 鈴木誠也
5(一)△松山竜平
6(三) ピレラ
7(捕) 會澤翼
8(遊)△小園海斗
9(投) ──
※△は左打ち

 ポスティング申請をしていた菊池涼介の残留が決まり、「二番・セカンド」の心配はなくなった。そうなると、来季のオーダーは、内・外野を守れるという触れ込みの新外国人・ピレラがどのポジションに就くか、何番を打てる打力があるか次第になるだろう。可能性があるのは、守備では外野の一角(レフト)とファースト、サード。打順では、一番、三番、六、七番だが、どこにハマるか。外野の一角を争う野間峻祥、サードを争う安部友裕の出来も絡んで、オーダーが決まってくることになりそうだ。ここではサードで六番のパターンを作ってみたが、外野となれば、上位打線が違う形になる可能性も。野間が一番に定着できるかどうかも大きなポイントだ。


☆あら、田中くんが復帰したら、1番ショートは田中くんになると思いますけどね。K.Oの予想は、こちら。


① 6 田中
② 4 菊池
③ 8 西川
④ 9 鈴木
⑤ 3 松山
⑥ 7 ピレラ
⑦ 5 安部
⑧ 2 会沢


☆はい、見事に、ジグザグ打線(笑)。この打線で引っ掛かるのは唯一、西川くんが3番を務められるか、ということ。相手が左ピッチャーなら、サードピレラ、レフト長野もありですかね。


☆野間くんをスタメンで使う場合も、サードにピレラですかね。この辺は安部ちゃんと競争。野間くんは長いのをある程度打てるようなら7番はありかなと。もちろん野間くんは使いたい選手なんですが、スタメンで使うには、「使える選手」になっていることが条件。


☆さて、先日はデイリーの10大ニュースをお伝えしましたが、今回はFull-Count版。


◇4年ぶりBクラス、鈴木&大瀬良が活躍、ドーピング騒動も… 2019年の広島10大ニュース 12/30(月) 20:00配信 Full-Count

◆鈴木誠也は2冠、オフには結婚を発表と公私ともに充実の1年に

 昨季までセ・リーグ3連覇を果たしていた広島。4年連続Vを狙った今季は4シーズンぶりのBクラスと悔しい結果に終わった。振り返れば、悪い事だけでなく、良かった時期や活躍した選手も多かった。5シーズンを率いた緒方孝市監督の最後のシーズンはどんな1年間になったのか。2019年の広島10大ニュースを振り返る。

○4連覇逃し、4シーズンぶりBクラス転落

 5月は11日のDeNA戦から11連勝、さらに28日のヤクルト戦から再び連勝し、月間20勝3敗1分と驚異の数字を残した。月間20勝以上は2002年8月の西武以来、プロ野球8度目、セ・リーグ5度目だった。だが、交流戦は5勝12敗で最下位となり、失速。丸佳浩外野手の移籍や田中広輔内野手、松山竜平外野手、中崎翔太投手らの不振もあり、4シーズンぶりのBクラスに沈んだ。

○鈴木誠也、首位打者&最高出塁率&通算100本塁打

 オフには野球日本代表「侍ジャパン」の4番として世界一になった鈴木。広島の4番としては140試合に出場し、打率.335、28本塁打87打点、167安打、25盗塁とキャリアハイを更新する活躍を見せた。首位打者に加え、最高出塁率.453を記録した。オフには結婚も発表し、公私共に充実の1年となった。

○大瀬良が6完投&3年連続2桁勝利

 今季はリーグ最多の6完投、同2位の173回1/3を投げ、11勝9敗、防御率3.53の好成績を残した。2桁勝利は3年連続。またヤクルト戦ではプロ入り1年目から無傷の12連勝まで伸ばし、リーグ記録を更新した。大瀬良も1月に結婚を発表しており、オフには結婚式を行った。

○バティスタがドーピング違反で出場停止

 8月17日にドーピング検査で陽性となったことを球団が発表、処分は6か月間の出場停止となった。今季は103試合に出場し、打率.269、26本塁打64打点、100安打といずれもキャリアハイの成績を残していたこともあり、終盤戦に大きな戦力ダウンとなった。

○西川龍馬が27試合連続安打

 27試合連続は球団2位の記録。また7月には21日の巨人戦、24日の中日戦、27日の中日戦、31日の巨人戦で初回先頭打者本塁打を放った。4カード連続で初回先頭弾が出るのはプロ野球史上初の記録。


◆永川と赤松が引退、緒方監督が退任し佐々岡新監督に

○永川勝浩投手と赤松真人外野手が引退、ともにコーチに就任

 通算165セーブを挙げるなど守護神として活躍した永川と、2017年に胃がんの手術を受け、昨年実戦復帰を果たした赤松が現役を引退。来季からはコーチとしてカープをバックアップしていく。永川は2002年に自由枠で入団し通算527試合に登板し38勝42敗、165セーブ79ホールド、防御率3.46をマーク。赤松は2004年にドラフト6巡目で阪神に入団。2008年1月にFA移籍した新井の人的補償としてカープに移籍。通算868試合に出場し打率.249、21本塁打、144打点、136盗塁をマーク。2010年にはゴールデングラブ賞を獲得した。

○田中広輔内野手の連続フルイニング出場試合記録が止まる

 リードオフマンとしてチームをけん引してきた田中が打撃不振で、6月20日のロッテ戦でスタメン落ち。2015年4月1日のDeNA戦から続けてきたフルイニング出場が、635試合で途絶えた。代打で出場し連続試合出場は継続したが、21日のオリックス戦に欠場し、そちらも636試合でストップ。2軍落ちもあり、ルーキーの小園海斗内野手が遊撃のポジションに就くことも多かった。

○緒方孝市監督が退任&佐々岡真司監督就任

 4位に沈んだ今季終了後、緒方監督から退団を申し入れ受理された。緒方監督は1986年にドラフト3位で広島に入団し、2009年まで23年間、広島一筋でプレー。引退後も球団に残ってコーチを務め、2015年から監督に就任。球団史上初の3連覇を達成するなど、4年間の通算成績は715試合で398勝303敗14分、勝率.568。今季投手コーチの佐々岡氏が新監督に就任している。

○菊池涼介内野手が米挑戦も断念、広島と再契約

 ポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦を表明していた菊池だが、期限を待たず、広島残留を表明した。今季は138試合に出場し、打率.261、13本塁打48打点をマーク。7度目のゴールデングラブ賞を受賞しており、広島にとっては来季の大きな“補強”となった。

○明治大・森下暢仁投手をドラフト1位で獲得

 大分・大分商時代からU-18高校日本代表に選ばれた逸材で、大学4年春のリーグ戦を5季ぶりに制し、全日本大学野球選手権では38年ぶりとなる優勝を成し遂げた、最速154キロの大学NO1右腕。リーグ戦通算39試合登板し、15勝11敗、防御率2.49。当初は競合も予想されていたが、広島が一本釣りに成功。その完成度の高さから即戦力を期待されている。


☆デイリーでは、誠也くんと大瀬良くんの結婚、なんてのが入ってましたね。


☆リーグ3連覇を逃しBクラスの4位、緒方監督が退任、佐々岡新監督が誕生。コーチ陣も入れ替わり、新体制で迎える来季。ま、今年はいろいろありましたが、来季は戦えるチームを新たに作って、是非日本一を勝ち取ってほしいですね。


☆そのためには、この人の働きは不可欠。


◇広島・野村 専属トレーナー伴ってハワイトレ「やりたいことができた」 12/30(月) 9:00配信 デイリースポーツ

 広島・野村祐輔投手(30)が29日、母校・広陵の野球教室に参加し、トレーナーを伴って米ハワイで自主トレを行ったことを明かした。

 今月21日の帰国まで約1週間。体幹トレなどがメインで「暖かい所でしたいというのがあった。やりたいことができた」と充実の表情を浮かべた。

 また、27日に残留を表明した菊池涼については「チームに残ってくれたのはありがたい」と話した。


☆ま、誰も流出しなかったのが最大の補強、なんて言う人もいますが、残ったからには野村くんも中心として働いてもらわないといけません。


☆一方、将来が楽しみなのが、高卒ルーキー。


◇広島カープから3位指名の鈴木寛人 武器は150キロの直球とキレ味鋭いスライダー 12/30(月) 17:05配信 高校生新聞

 鈴木寛人(茨城・霞ヶ浦3年)は今夏、エースとしてチームを4年ぶりの甲子園に導いた。2年次までは苦しい時期もあったが、壁を乗り越えて心身ともに成長を遂げた。10月17日のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、国内最高峰のステージにその第一歩を踏み込む。(文・写真 小野哲史)

◆我慢の時期、乗り越え

 鈴木は長身から投げ下ろす最速150キロの直球と、キレ味鋭いスライダーが持ち味で注目されている投手だ。霞ヶ浦には、「投手の育成に定評がある」と聞き、進学を決めたと振り返る。入学当初の目標は「公式戦で投げること」。甲子園出場やエースになるという思いは、当時はまだ持てなかった。

 1年の夏までは思うようなパフォーマンスができず、「我慢の時期」だった。同学年の投手陣に刺激を受けながら苦境を乗り越えたが、2年の春には練習試合で右手の指を負傷。約2カ月間の戦線離脱を余儀なくされた。

 それでもめげず、復帰後は「約30mの距離でも落ちないボールを投げる立ち投げ」「50センチほどの棒を持ったシャドーピッチング」といった部の伝統的な練習メニューを地道にこなし、投手としての土台を着実に築いていった。

◆会話で緊張打ち消す

 公式戦で投げる機会が増え、練習試合で強豪校を抑える度に「自身の成長を感じた」という。2年生のころは試合前、緊張すると自分の世界に入ってしまうことが多かった。だが、3年になってからは他の選手と会話を交わし、リラックスができるようになるなど、課題だったメンタル面も徐々に克服。試合が始まると、自然と気合が入るようになった。今年度からエースナンバーの背番号1を背負い、自然と「甲子園」という明確な目標を持てるようになっていた。

 夏の県大会では大車輪の活躍を見せた。4試合に登板し、防御率は0.96。1試合平均で1点も取られなかった。14対0という圧勝で甲子園行きを決めた常磐大高との決勝戦は「高校生活で一番の思い出になった」と語る。

◆雰囲気よくして勝つ

 硬式野球部の高橋祐二監督は鈴木に向けて、「プロは『俺が、俺が』というタイプじゃないと生き残れない世界。遠慮せずに、でも今まで通りこつこつやって、数年後に1軍で投げられる投手になってほしい」とエールを送る。鈴木の目標は、2学年上の遠藤淳志(広島東洋カープ)で、今でもLINEで連絡を取り合う。再びチームメートとなる先輩のように「登板したらチームの雰囲気が良くなって勝てる投手」を目指している。


◆普段の一日のスケジュール

6:30 起床 朝食後、自主練習
8:40 教室に着席
15:20 授業終了
15:50 練習開始
19:30~20:00頃 練習終了
夕食後、自主練習
21:30 食堂で点呼・掃除
21:45 自由時間
23:00 消灯・就寝

◆Q&A 刑事ドラマが好き

Q 野球の面白さは?
A 「相手がこういうスイングをしているから、ここに投げよう」など、考えないとできない奥深さが面白さでもあり、難しさだと思います。

Q 集中力を高めるコツは?
A 他のことを考えないようにします。だから普段から野球をしていない時は野球のことはなるべく考えず、オンとオフを切り替えています。

Q オフの日の過ごし方は?
A 帰省できる時以外は、寮の部屋で寝て過ごすことが多いです。

Q 好きな教科は?
A 数学と英語です。中学の時に塾で習っていたのもあり、理解できると楽しくなります。

Q 好きな食べ物は?
A から揚げです。好きな物を食べられる時はよく食べています。

Q 野球以外で趣味は?
A テレビで刑事ドラマなどを見るのが好きです。

すずき・ひろと

鈴木寛人
2001年10月7日、茨城県生まれ。兄の影響で小学2年から野球を始め、下館西中時代は筑西田宮ボーイズに所属。関東大会に出場した。右投げ右打ち。186センチ79キロ。


☆まだまだ荒削りではあるんでしょうが、上から投げ下ろすストレートは、魅力十分。バッターに向かっていける、強気なピッチャーになってほしいですね。


☆お次は、赤松。


◇広島 赤松真人が胃がん発覚で気づいた、ファンからの応援の力強さ 12/30(月) 6:04配信 広島アスリートマガジン

 2020年から二軍外野守備・走塁コーチに就任する赤松真人氏。
 カープに移籍後、ブラウン監督に見出され外野のレギュラーに定着。16年には幾度となく痺れる場面で華麗に塁を盗み、25年ぶりの優勝に貢献した赤松真人。病魔にも苦しんだ現役生活を通じて感じ入ったファンへの感謝を語り尽くす。

─ チームは16年に25年ぶりのリーグ優勝を果たし、赤松コーチも終盤の守備固め、代走でご活躍されましたが、そのオフに胃がんが発見されました。生活の変化を余儀なくされた部分はありますか?

「生活を変えるというか、変えなきゃいけない、そんな感じです。胃を切ったダメージは大きかったですね。とにかく食事量を増やせないんです。僕はプロのアスリートとしてその日の消費カロリー以上のカロリーを摂取しないといけません。それまではいろいろなものを食べてそのカロリーを摂取できていましたが、こまめに食事をしなければならなくなりました。
 また高カロリーのものは、味が濃くて結構胃がダメージを負ってしまうんですよね。摂取カロリーよりも運動エネルギーの方が多いと非常に疲れますし、僕の場合脂肪がないので特にフラフラになっていました」

─ 今改めて現役生活を振り返ってみて、どんなプロ野球選手人生でしたか?

「大した成績を残したわけではありませんが、いろいろな経験をさせてもらいました。人的補償での移籍という貴重な経験もあったし、オールスターにも出場することができました。ゴールデン・グラブ賞もあったし、フェンスにも登らせてもらって、3試合連続ホームランも打ったし、優勝もしたし、病気もしたし。いろいろなことが重なって、普通の人が味わえないような野球人生だったと思います」

─ 現役生活最後の引退試合はどのような気持ちで迎えられましたか?

「本当にありがたいの一言ですね。僕の場合、病気があったからこそこ
こまで注目していただいたという事情があったかもしれませんが、それでも声援をいただけてうれしかったです。逆にプロ野球選手のプレーがいろいろな人に勇気を与えているということに気づけました。すごくたくさんの花束もいただいて、感謝しかありません」

─ 若手選手たちに伝えていきたいことはどんなことですか?

「考える意識を常に持ってほしいです。この練習は何につながっているのかということを考えると全然違いますから。調子が良くて一軍に上がれたとしても絶対に調子は落ちてきます。そういったときに『あのときこういう意識で練習していたな』ということを考えれば、また復活する可能性が出てきます。ただそのときの感覚に頼り切って練習していると、その感触はすぐに忘れてしまいます」

─ 最後にカープファンのみなさんに向けてメッセージをお願いします。

「本当に長い間野球をやらせていただけたのは、みなさんの声援があったからだと思います。ファンの人の声援はパワーがありますが、実際応援してくれているファンの方々はそれに気づいていない方がものすごくいらっしゃると思います。僕はファンの方々にそのことを知ってほしいと思います。
 ですから力が出ていない選手に対して思いっきり応援をしてほしいと思います。
 ですがパワーがあるということは、弱っている選手に罵声を浴びせるとそれだけ選手を落ち込ませてしまうということです。ヤジを飛ばすのはもちろん自由ですが、自分たちの声援がとても力強いパワーを持っているということは知っておいてほしいです。
 今後コーチになってファンの方に感じている恩をどのような形で返せるか、はっきりとは分かっていません。より多くの選手を一軍にあげることが恩返しなのか、僕自身が頑張ることが恩返しなのか、まだ明確にはなっていませんが、少しでもグラウンドに立ち続けていきたいという思いを持っています。
 これまで応援本当にありがとうございました。これからもカープの選手たちへの応援をよろしくお願いします」


(広島アスリートマガジン2020年1月号から一部抜粋・続きは本誌にて掲載)


▼ 赤松真人 (あかまつまさと)
1982年9月6日生、京都府出身、37歳。平安高-立命館大を経て、04年ドラフト6巡目で阪神入団。08年1月に人的補償選手として広島移籍。広島入団後は俊足と巧守を生かして出場機会を増やす。10年には本塁打性の打球をキャッチし、その名を全国に知らしめ、ゴールデン・グラブ賞を受賞。16年オフに胃がんが発覚も、不屈の闘志で二軍戦に復帰。19年限りで現役引退を表明し、20年から二軍外野守備・走塁コーチに就任し、後進の育成に励む。


☆いやいや、人としてもすばらしいからこそ、選手としても輝くんだと思います。病気で注目された、なんて本人言ってますが、いやいや、病気してなくったって、赤松はみんな知ってますって(笑)。


☆赤松のような選手は、控えの選手というより、ベンチにいて、ここぞという時に絶対に必要な選手。赤松ほどスペシャリストとして守備や代走を完璧にこなせる選手は、他にいない。赤松の代わりはいないんですよね。


◇がん克服の広島・赤松、一芸自慢育てる「病気になって気づかされた」 12/30(月) 7:28配信 スポーツ報知

 今年も多くの選手がユニホームを脱いだ。第二の人生へ歩み出す男を紹介する。

 広島・赤松は2軍外野守備走塁コーチに就任した。16年オフに検査で胃がんが発見。以降の出場は、引退セレモニーを兼ねた今季の最終戦の1試合のみに終わった。「後悔はもちろんある。でも病気になって気づかされた部分の方が多い」。同じ病に苦しむ人々を鼓舞するプレーは「できなかった」と振り返る。だが今後は一芸に秀でた“赤松2世”を育てることでファンを勇気づけていく。


☆そう、赤松の代わりはいないので、本人は引退してしまいましたが、「赤松2世」を育てることは、ある意味赤松が引退後にやり遂げなきゃいけない、大きな仕事。カープには絶対に必要な要素ですから、赤松の責任は、重大ですよ。


☆そう、その存在がかけがえのないものだったからこそ、赤松本人が、その大きな穴を埋めてほしい。そしてコーチとして元気な姿を見せることが、ファンはもちろん、同じ病で苦しむ人に勇気を与えることとなると思います。


☆さて、おしまいは、こんな話。


◇カープたる募金「写真の少年」分かった 松山の森山さん、当時の石本監督に目録手渡す 12/30(月) 11:00配信 中国新聞デジタル

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鈴なりの観客が見つめる中であった「たる募金」の贈呈式。中央の少年が当時9歳の森山さん(1951年、広島総合球場)

 来年球団創設70周年を迎える広島東洋カープは、市民が身銭を投じた「たる募金」で草創期の資金難を乗り越えた。創設されてまもない1951年、当時の石本秀一監督に寄付金の目録を手渡す写真の「少年」がこのたび、判明した。松山市の森山修次さん(78)は「カープの試合が見たくて手伝いに出掛け、そのついでじゃった」と懐かしむ。

 森山さんは千田町(現広島市中区)で生まれ育ち、近所の電器屋の手伝いで広島総合球場(現コカ・ウエスト広島球場)へ通った。「場内放送用の機材を積んだリヤカーを後ろから押してね。着いたらバックネットによじ登ってスピーカーを取り付け、試合後は片付け。アイスやパンがもらえるのと、何よりただで野球が見られるのがうれしかった」と振り返る。

 9歳だった51年の春、紅白戦を観戦していると「大人に呼ばれ、これ(目録)を監督に渡してくれと頼まれましてね」。事情を知らぬままグラウンドに立ち、贈呈役を務めた。写真は、当時の中国新聞夕刊に「微笑しい資金カンパ」の見出しとともに掲載された。

 この話を聞いたおいの隆さん(55)=奈良市=が「市民球団の歴史を物語る有名な写真。まさか叔父とは…」と驚き、節目の年を前に、カープ球団へ手紙で知らせた。

 森山さんは年に1度、マツダスタジアム(広島市南区)で観戦する。「カープは昔と比べて本当に強くなった。でも応援の熱気だけは、あの頃も負けちゃおらんよ」と目を細める。


☆いやいや、写真の観客の数を見るだけでも、市民のカープに対する熱意が伝わってきますな。広島総合球場というのは、長く「広島県営球場」として親しまれてきました。K.Oも試合をしたことがありましたが、まあひどい球場で(笑)、セカンド近辺が、まるでマウンドのように盛り上がってました(笑)。今はもう、きれいな球場になってるんでしょうね。


☆カープの草創期のことは、Wikipediaにも詳しく載ってますが、石本さんは、試合は白石助監督に任せ、資金集めに奔走、カープ存続を新聞紙上で訴え続け、大洋との合併が役員会で決まった時も、説得して合併を阻止、後援会を立ち上げて、苦境を乗り越えました。


☆石本さんを始めカープの関係者はもちろん、たる募金を始めお金を出した数々のファンも、「郷土にプロ野球チームを」の一心で動き、何度もあった球団消滅の危機を乗り越えてきました。その思いがなければ、とっくの昔にカープはなくなっていた訳です。


☆そういうものって、脈々と受け継がれていくんですよね。だからカープのファンは、「熱狂的」という言葉では片付けられないほど、カープを熱心に応援するし、地元の人たちにとっては、もう生活の一部になっている訳です。


☆K.Oが野球を好きになったのも、地元広島にカープという球団があったおかげ。わが故郷にプロ野球のチームがあるというのは、今でも誇りですわ。実際、カープがあったことによって、原爆の痛手から立ち直り、中国地方でも最大の都市にまでなれたという面は、とても大きいんじゃないかと思います。


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source : K.Oのカープ・ブログ。