2018年12月28日金曜日

08年ドラフト1位 中日引退の野本圭さんが高校からプロ入りしなかった理由 通算449試合.224 9本 83打点 1盗塁

引用元: http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1545817496/

1: 砂漠のマスカレード ★ 2018/12/26(水) 18:44:56.94 ID:CAP_USER9
今シーズン限りで中日ドラゴンズを引退した野本圭さんが、12月22日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演しました。

パーソナリティの若狭敬一アナウンサーとは同じ岡山県出身の野本さん、自身の野球人生をざっくばらんに語りました。

大学進学は監督判断

野本さんが「プロ野球選手になりたい」と思い始めたのは小学校高学年頃。
その後岡山南高校から駒澤大学、日本通運を経て、2008年にドラフト1位でドラゴンズに入団。外野手として、また2015年は内野手としても活躍しました。

実は引退して高校時代の監督に挨拶に行った時、あることを打ち明けられたそうです。

野本「結構スカウトが来ていたそうですが、僕もまだまだぺーペーだったし、もう一回、大学で野球をやったほうがいいんじゃないかっていう監督の判断だったそうです。でも結果、それが良かったんじゃないかなと思います」

社会人で経験したもの
駒沢大学の時はもちろんプロからの誘いがあったそうですが…。

野本「僕も二十歳を超えましたし、いろんな方と接触する機会もありました。自分を評価してくれる話もありました。その時は、一社会人として、部活じゃなく生活をしながら野球をしてみなさい、ということで社会人に行かせてもらいました」

「『部活じゃなく、生活をしてみなさい』…良いフレーズが出て来ましたね」と噛みしめるように言う若狭アナ。自身も岡山の野球少年でした。

社会人として過ごした日本通運での2年間については?

野本「もちろん仕事もさせていただきましたし、野球を自分の仕事として考えるようになったと思いますね」

真っ白になった最後の打席
リスナーから質問が寄せられました。

「ナゴヤドーム引退試合(9月29日の阪神戦)での最終打席はどんな気持ちで立ちましたか?」(Aさん)

代打として立った最後の打席では、阪神・藤浪投手と対戦して惜しくも一ゴロでした。

野本「すごい緊張しましたし、終わった後は頭の中が真っ白になった感じですかね」

最後のヘッドスライディングはとっさに身体が動いたそうです。

スタンドではファンが野本さんの背番号である31と書かれた白いボードを掲げていました。

「アウトになって、スタンドを見ると、真っ白の野本選手へのボード、31番。真っ白になってた。あの時どうでした?」と聞く若狭。

野本「あれを配っていただいて、中日ドラゴンズには本当に感謝しています。登場する時からもう本当に真っ白になってましたし、本当に幸せだったなと思いました」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181226-00010001-cbc-base
12/26(水) 10:27配信

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http://npb.jp/bis/players/31435118.html
成績

https://www.youtube.com/watch?v=_8zCD2Gqnl4


09年04月04日 野本圭 プロ入り初本塁打(2ラン) ピッチャーグリン

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source : 竜速(りゅうそく)