2019年11月29日金曜日

最近のカープ、あれこれ~'19.11.28、伝説のエース・そのつもり・やっぱり優勝。


☆さて、今日は、この話から。


◇カープ伝説のエース・外木場義郎が 明かした「完全試合」達成の心境 11/28(木) 6:20配信 WebSportiva

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第5回 外木場義郎・前編

 平成の頃から、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしている。しかし、その時代のプロ野球には強烈なキャラの選手たちが大勢いて、ファンを楽しませてくれたことを忘れてはならない。

 過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。5人目はカープのレジェンドエース、外木場義郎(そとこば よしろう)さんが語った、完全試合を含む3度のノーヒットノーラン達成についての言葉を伝えたい。

* * *

 外木場義郎さんに会いに行ったのは2007年4月。JR広島駅に直結したホテルのラウンジで待ち合わせた。細い黒縁の眼鏡をかけ、髪を七三に分け、紺のダブルのスーツに赤いネクタイを締めた外木場さんは実直な銀行員そのもの。取材の際、ここまでの正装で現れた野球人は過去にいなかったし、ラウンジのソファに腰掛けても身は沈めず、背筋をピンと伸ばしたままだった。

 広島が弱小球団だった時代から、外木場さんはエースとしてチームを支えていた。オーバースローからの剛速球、ドロップといわれたタテ割れのカーブを武器に、真っ向勝負するピッチングが身上。1975年には20勝を挙げて最多勝に輝き、球団初のリーグ優勝に大きく貢献。広島の歴史を語る上では絶対に外せない投手だ。

 が、それ以上に外せないのが球史に残る大記録。外木場さんは65年10月2日の阪神戦で挙げたプロ入り初勝利をノーヒットノーランで飾っていて、68年9月14日の大洋(現・DeNA)戦では完全試合を達成、さらには72年4月29日の巨人戦でまたもノーヒットノーランを成し遂げているのだ。

 日本プロ野球史上、3度の達成はもう1人、草創期の巨人で活躍した沢村栄治がいる。しかし完全試合はなかった。このことに触れ、[記録の神様]と呼ばれた宇佐美徹也はこう書いている。

<沢村がこの3試合に出した走者は合わせて15人(四球12、失策3)なのに、外木場は1+0+2=3人(四球2、失策1)、数も内容も抜群で非の打ちどころがない>

 1度でも難しい記録を3度もやってのけられた要因はなんだったのだろう。よく、運や偶然が働いた結果といわれるが、3度となるとそれとは別のものがあったのではないか。もしや外木場さんには、大記録達成のスイッチが確実に入る瞬間があったのでは? と考えたくなるが、実際にはどうだったのか。まずはその達成回数について聞いた。

 「まあ、私の場合は3度ねぇ、結果的にそういう記録ができたんですけども、7回ぐらいまでノーヒットの試合も7度か8度あるんです。だけど、記録は狙ってできるものでもない。私は弱い球団でありながら運がよかったんです。やはり、偶然的なものがいろいろ重なって結果につながるわけですから」

 歯切れのいい、よどみない語り口だった。やはり、3度達成でも運と偶然は不可欠と考えている。偶然という意味では、1度目のとき、本来は外木場さんではなく、7年目左腕の大羽進(おおば すすむ)が先発予定。その大羽が練習中に膝を故障し、急きょ、「外木場に投げさせてみたらどうか」となったのだった。


 まだドラフト制度がない時代、外木場さんは鹿児島の出水高から社会人の電電九州を経て、64年9月に入団。高校時からカーブには自信があり、遠投130メートルの地肩の強さを生かした真っすぐにも力があった。が、同年は登板がなく、翌年からリリーフで起用され、その日、甲子園での阪神戦、2度目の先発。相手の先発は外木場さんにとって憧れの投手、エースの村山実だった。

 「うわー、村山さんかと。だからもう勝敗は別として、そういうゲームに投げられるだけで嬉しかった、というのが第一印象。記録にもあんまり感動はなかったんです。次の日、新聞を見ましてね、ああ、やったんだな、とは思いましたけど、当時は今みたいにマスコミがすごく騒ぐわけでもなく、試合中に意識することも全然ない。記録よりもまず勝ったこと。なんにしろ初勝利ですから」

 謙遜とは違う。まだ実績がないから意識も感動もなくて当たり前ということか。マスコミの報道態勢が今とは違っていた部分も納得できるが、仮に、現在のように全試合がテレビで放映されていたら印象も違っていたのでは?

 「そうでしょうね。ただ、マスコミといえば試合後、記者の人からね、『外木場君、こういう記録を達成した人は意外と短命だからねぇ』とチラッと言われましてね。この人、ナニ言うてんのかな、って思いましたよ。確かに、過去に何人かそういうピッチャーはおられるんです。しかし私自身は初めて勝って、記録も作らせてもらって、いきなりそんなこと言われたら、嫌でしょ? それで『なーに、そんなことないですよ。なんならもう一回やりましょうか?』と。ポーンと口に出したわけです」

 この「なんならもう一回」発言は文献資料でも触れられていたが、理由は書かれていなかった。ゆえに僕は、1度目のときから外木場さんが相当の自信を持って投げていたのでは、と推測し、「もう一回」と豪語できるだけの手応えをつかんでいたものと思っていた。現に3年後には「もう一回」があるわけだが、実際にはそうではなかった。記者も驚いたのではないか。

 「どうでしょうかね。まあ、驚くというよりも、こいつ生意気だな、ぐらいに思われたかもしれませんよね」


 もっとも、その記者の意地悪な言葉は、予言めいた響きを持っていたといえる。大記録達成の初勝利ゆえに首脳陣の期待は大きかったはずだが、翌66年の外木場さんは主にリリーフを務めて0勝1敗。67年は先発も一気に増えたなかで2勝3敗。決して、順風満帆な投手人生の始まりではなかった。

 「一時はトレードの話とかも出たんですよ。それがある日、当時はヘッドコーチだった根本陸夫さんに呼ばれまして。『おまえは力強さ的なものは非常にいいものを持っているので、もう少し力の配分を考えたらどうか』と指導されたんです。『バランスもいいんだけども、やや重心が高いから、高めにボールが行きやすい』と。それが最初のきっかけで、改めて、練習を積んでいったわけです」

 67年のシーズンオフ、指導を受けていた根本ヘッドの監督就任が発表された。直後、外木場さんは新監督に呼ばれた。

 「『ちょっと会社に来てくれんか』と。普通、活躍してない選手が呼ばれたらね、いよいよトレードか、ヤバいな、と思いますよ。それで行ってみたら、ざっくばらんで、『まあ、お茶でも飲むか』と言われて何かおかしい。そしたら、『俺は来年、監督やるけれども、お前は一軍のピッチャーとして扱うから、そのつもりでしっかり頑張ってくれ』と」

 わざわざ会社まで呼ばれて言われたことで印象に残り、監督の思いが伝わってきた。その監督の方針のもと、「12球団ナンバーワン」といわれた広島の練習量。特に投手陣は藤村隆男投手コーチの指導が厳しく、1人が練習中に泡を吹いて倒れ、痙攣(けいれん)を起こしたこともあるほどだった。外木場さんが「彼はもうダメかな」と思っていると、若干、練習量が減らされた。

 「もし倒れる者が出なかったら、と思うとゾッとしますよ。なにしろ、キャンプでキャッチボールが終わったら、野手の練習が終わるまでピッチャーは休みなし。2時間半ぐらい、とにかく走ることを重点に動き続けるわけです。今の選手にやらしたら、みんな野球やめてしまう、というぐらいのきつい練習。ですから、そういう練習に耐えられたことは、何か、記録ができたことにもつながるんじゃないでしょうか」


 その記録とは、2度目のノーヒッターとなる68年の完全試合。1度目とは違って、首脳陣からの指導と猛練習があって初めてできたこと、という実感がある。しかも同年、外木場さんは一気に21勝をマークし、23勝を挙げた安仁屋宗八(あにや そうはち)とともにエースの座にのし上がる。さらに、防御率1・94で自身初のタイトルも獲得。ならば、同年は相当に年間通して好調だったのかと思いきや、開幕3戦目の初登板で打たれて序盤で交替となっていた。

 「そのときに根本さんから、『人間のやることだから、いつも100パーセントというわけじゃない。ただ、今日どうしてやられたのか、自分なりによう考えてごらん』と言われました。あの人はあんまり込み入ったことは言わないんですよね。選手が、よし次に頑張るぞ、ってやる気を起こさせるような話の持っていき方をされて、自分自身で考えさせる。考えれば、何かそこにヒントがあるだろうと。それで2戦目の大洋戦、完封できた。そこからですよ、私がローテーションに入ったのは。そういう意味では本当に、私がここまでなれたのは根本さんのおかげだろうな、と思ってますよ」

 根本監督の指導で「ここまでなれた」というなかに、完全試合も含まれている。9月14日、広島市民球場での大洋戦。

 「あのときは前の日の夜から昼過ぎまで雨が降ってまして、これは中止だろう、と思ってたんですよ。それが『やる』となって、初めは気持ちが乗ってない。逆に、むしろそのほうがよかったんじゃないか、というのもありますね。あんまり気負い過ぎなかったことが。もちろん、後から考えてみれば、ということですけども」

 いざ試合が始まると、不思議と気持ちが乗っていった。自分では万全の態勢では行っていない、と思っているのに、イニングを投げるごとに体もうまく使えてきた。5回に近藤昭仁から三振を奪ってベンチに戻ると、捕手の田中尊(たかし)が「お前の今日のボール、すっごいキレがいいで。ひょっとしたら完封するだろうな」と言った。


 自分では実感がなかった外木場さんも、実際に受けている捕手から「いいぞ」と言われ、ついその気になった。6回は三者連続三振、7回は投ゴロ、三ゴロ、左飛。このあたりで完封以上、記録がかかっていることは頭にあった。いい当たりは5回、松原誠の左飛ぐらいだった。ベンチは静かになり、捕手の田中もあまり話をしなくなった。そのなかで投げている当人が記録達成を意識したとしたら、8回の頭だろうか。

 「9回、9回の頭ですよ。意識というより、これはいけそうだな、よし、っていう気持ちになって、狙ってみようと。もう完全に狙いに行きました。力が入りましたよ。だから最後、3人とも三振取れたと思うんです」

 9回の大洋は代打の中塚政幸、同じく代打の江尻亮、そして山田忠男。このなかで中塚はセーフティバントの構えをしたという。

 「ちょっとそんな格好してましたけど、もうっ、やられたらしょうがない、とは思いました。ただ、代打で出てくる人は私のボールに目が慣れてないとしても、緩い球だと変化してもついてくる可能性がある。だったら速い球で押せ、というのが鉄則なんです、はっきり言えば。だから、9回はほとんど真っすぐでした。三振取ったボールもみんな真っすぐでしたから」

 結果、16奪三振というセ・リーグタイ記録も作ってのパーフェクトゲーム。これほど完璧な形での達成はほかにない。

(後編につづく)

高橋安幸●文


☆根本さんは、1967年カープのコーチに、翌1968年には監督に就任、球団史上初のAクラス、3位へとチームを導きます。外木場さんのコメントにもあるように、1975年の初優勝は、根本さんがその基礎を築いた、と言っても過言ではありません。


☆それにしても、今でもよく練習することで有名なカープですが、当時は明らかにそれ以上。今なら間違いなくパワハラですな(笑)。でも昨日のイチローさんや落合さんじゃありませんが、チームが強くなろうと思ったら、やっぱり練習するしかないんですよね。


☆それにしても、完全試合が懸かった9回に、緊張するどころか狙いに行ったってんですから、やはりエースと呼ばれるピッチャーは違います。


☆その、「真のエース」になれるか。


◇広島・大瀬良、2年連続開幕投手に名乗り 打診まだも「そのつもり」エースの自覚十分 11/28(木) 7:30配信 デイリースポーツ

 広島・大瀬良大地投手(28)が27日、2年連続開幕投手へ意欲を示した。初の大役を任された今季は、巨人相手に8回7安打無失点の快投で白星をマーク。来季は佐々岡新監督の初陣を飾り、初白星を贈るつもりだ。この日は「2019年度Doスポーツ指導者招へい事業」の一環で、今村、野間、高橋大と広島市内にある大河小学校を訪れ、ドッジボールなどで交流した。

 元気いっぱいの小学生からエネルギーをもらい、大瀬良が来季への決意を新たにした。広島では16、17年のジョンソン以来となる2年連続開幕投手。佐々岡新監督からの打診は「まだないです」と明かしたが、大本命が堂々の立候補だ。

 「そのつもりでいます。もちろんアピールしないといけないですし、そのためだけじゃなくて、年間を通して大事な試合でもパフォーマンスを出せるようにしないといけない。まずはしっかりアピールして、開幕投手をまた任せてもらえるように頑張りたいです」

 大舞台での勝負強さは証明済みだ。初めて大役を任された今年の3月29日・巨人戦(マツダ)では8回7安打無失点の快投を演じた。広島凱旋で注目された丸を4打席連続三振。球場が独特の緊張感に包まれる中で手にした初白星は格別だった。

 「日本シリーズとかも経験させてもらいましたけど、(開幕戦は)チームとしての一発目の試合で勢いを付けたい大事な試合。何にも代えることのできない大きな経験をさせてもらったので、何度も味わいたいです」

 就任会見で佐々岡新監督からリーダーに指名されたように、来季も投手陣の大黒柱だ。プロ6年目の今季は26試合に登板して11勝9敗、防御率3・53。リーグトップの6完投をマークするなど、夏場もフル回転した。今季1軍投手コーチだった指揮官から「エース」と認められ「すごくお世話になっているので、いい形でチームとしても監督としてもスタートが切れるように」と恩返しの思いは人一倍強い。

 東京五輪イヤーの来季開幕戦は3月20日の中日戦。例年より約1週間早く、佐々岡監督からは調整の前倒し指令が出ている。「基本的に休むことはない。気持ちもオンとオフをあまり考えず、オンのままオフシーズンを過ごしていきたい」と語る右腕に不安はない。この日は小学6年生とふれ合い「思いやりの心を学ばせてもらいました」とにっこり。心優しきエースが来季も開幕のマウンドに立つ。


☆今年も来季に向け2段モーションを封印したりと、進化するための模索を続けている、大瀬良くん。基本的には制球が安定することが一番だと思います。そのためのフォーム固め、ということになると思います。


☆この人は、復活なるか。


◇広島・薮田和樹 下半身主導で3年前の感覚を/来季の復活を誓う 11/28(木) 12:02配信 週刊ベースボールONLINE

 2017年に15勝を挙げ、自己初のタイトルとなった「勝率第一位」を獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献した姿は今年もなかった。大きな期待を背負って臨んだ18年シーズンは9試合の登板にとどまり、2勝1敗。復活をかけて臨んだ今季は4試合の登板で0勝2敗、防御率9.24。プロ入り後初のゼロ勝に終わった。

「数字を見てもらったら分かる通り、悔しいシーズンでした」

 リーグ4連覇を懸けて挑んだ今季は、これまでの疲労が蓄積したのか、3連覇を支えてきた主力選手が不振や故障により離脱。その影響もあってか、シーズンが深まるにつれて、チームは失速し、クライマックス・シリーズ進出をあと一歩で逃した。セ・リーグの絶対王者から一気にBクラスの4位にまで転落した。

 チームが王座を奪還するには薮田和樹の復活は必要不可欠だ。不振の原因について薮田は「それは分からない。それが分かったときにはもう1回勝てていると思います」と頭を悩ませながらも、復活へ一歩ずつ歩みを進めている。若手中心で組まれた秋季キャンプにも参加し、走り込みのメニューでも懸命に取り組み、背中で若手選手を鼓舞した。

 秋季キャンプでは下半身主導で力を出すことを意識したフォームに取り組んだ。17年と比べ、「感覚はそんなに大きな差はないです」と話す。来季自身に求める姿については「理想は開幕から先発ローテーションに入って、全試合勝つことです」と覚悟を口にした。


☆岡田くんもそうですが、リリースの時に抑えがきかない時があるんですよね。17年の時は、もっと低めにコントロールされていたと思います。本人は17年と感覚はそう変わらない、と言ってますが、今年1軍で投げた時のような制球力では、長続きはしないと思います。


☆ただ、この人と岡田くんは、やはり戦力になってもらわないと困る。そのつもりで獲ったピッチャーですからね。本人たちも、「自分たちがやらなければ優勝はない」くらいに考えておいてもいいと思いますよ。


☆一方、若手の先発投手も、出てきてほしいところ。


◇広島・山口、黒田流フォーム習得へ 来春C競争勝ち抜けへ、オフに新たな挑戦! 11/28(木) 9:00配信 デイリースポーツ

 広島の山口翔投手(20)が27日、大野練習場で投球フォームの確認を行った。現在はOBの黒田博樹氏や昨季まで大瀬良が取り入れていた左手を高く上げる投げ方の習得を目指している。体が前に突っ込む悪癖を修正するための試み。オフの期間に形を作り、来春キャンプで競争を勝ち抜く。

 鏡の前に立った山口はシャドーピッチングを繰り返した。確認するのは左手の高さ。「高く上げるようにしたい。そうすれば自分の悪いところを直せると思う」。課題克服へ新たな取り組みだ。

 左手、左肩が早く下がることで右肩が上がり、体が捕手方向に突っ込み気味になることがあった。今季も修正を試みたが、納得できるところまで至らなかった。左手を高く上げることで壁が生まれ、倒れにくくなる。試行錯誤した末にたどり着いた。

 OBの黒田氏、大瀬良も昨季は左手を高く上げるフォームだった。秋季キャンプでは、2段モーションの習得と共にテーマにしていた。まだしっかりとした形になる確率は低いものの、はまったときは「力強い球が投げられている」と方向性は見えている。

 今季は1軍に初昇格し9試合に登板。プロ初勝利を手にした一方で、7月9日の中日戦では1回3失点でKOされるなど悔しさも味わった。来季は3年目。「早いですね」と素直な感想を口にした。先発ローテ入りが当面の目標だ。

 今後もネットスローやシャドーピッチングなどでフォームを固めていく。「これからは一人の時間が多いので、自分と向き合っていきたい」。来春キャンプまで2カ月余り。自覚を持ってオフを過ごす。


☆遠藤くんと競って、1軍のローテに食い込むこと。今年1軍のマウンドを経験して、何が足りなかったかも分かっているはず。プロというのは、常に一定のパフォーマンスができる人のこと。そのために心身ともに必要な要素を揃えて、春までに仕上げること。


☆後はね、若さは忘れちゃダメですよ。若い時にしかできないピッチング、ってのはありますから。変にまとまらず、打たれて元々、くらいの勢いでバッターに挑んだらいいんですよ。




☆さて、28日は、ゴールデン・グラブ賞の表彰式があったようで。


◇【広島】GG賞の誠也「曇りかけていた“守備の心”取り戻した」…一問一答 11/28(木) 20:02配信 スポーツ報知

 第48回「三井ゴールデン・グラブ賞」の表彰式が28日、都内のホテルで行われ、広島・鈴木誠也外野手(25)が2年ぶり3度目の受賞。昨季までチームメートだった丸佳浩外野手(30)が巨人にFA移籍したことで変化した守備への意識について吐露した。

 ―2年ぶりの受賞。

 「僕でいいのかなと思っている。今年は(西川)龍馬が入ったりとか、中堅が固定されなかった。今までは(丸に)頼りっぱなし。シーズン当初とか(プロで)初めてポジショニングとか、いろいろ考えてやった。いろいろなことを意識したシーズンだった」

 ―右翼手として視野が広がったか。

 「あまり(守備に)興味がなかったが、龍馬ら中堅に入る人と会話するなど、コミュニケーションを取ることが増えた。もっと興味を持ってやらないといけないなと。僕の意識が変わり始めた第一歩としては良かった」

 ―守備の興味とは。

 「足をけが(17年8月に右脛骨内果の剥離骨折)して(昨季は)動けないというのがあって、(納得できる守備を)あきらめていた部分があった。(患部が)良くなって動きも良くなり、守備の怖さはほとんどなくなった。思ったとおりに動けるようになって、また興味が出てきた。曇りかけていた“守備の心”を取り戻したというか(笑い)」

 ―今季の公式戦でのベストプレーは。

 「印象に残るプレーを出せていない。侍の時のアレ(15日の韓国戦で鈴木、外崎と中継して走者を本塁タッチアウト)がいいですね。(選考の対象外?)フフフ。でも走者を刺すような、いいプレーは印象に残る。(来季はトリッキーな)技を使ってランナーを走らせてから刺せたらいい」

 ―守備率は意識するか。

 「知らないです。失策の数ですか。ショーバンで送球して『それがエラーになるの?』というのもある。とにかく外野のエラーは大量失点の可能性が増える。一番いけないミスなので気を引き締めてやりたい。17年は6失策でゴールデン・グラブ賞でしたね(笑い)。ゼロが一番。送球ミスや見えないミスもなくさないと。数字に表れないエラーも含め、投手を助けられるよう頑張りたいです」


☆いやね、丸が抜けて何が一番痛いって、守備なんですよ、守備。今年は誠也くんも、右中間方向の打球は随分積極的に捕りに行ったと思います。西川くんは守備範囲も広いし、思ったよりうまくセンターをこなしたと思いますが、センターというのは、外野のリーダーですから。こういう時はこうする、みたいなのは、みんな丸が決めてたんですよね。正直今年は、外野同士の連携はもちろん、内野との連携プレーでも、ぎくしゃくした部分はあったと思います。それは仕方ないんですよ、守備の中心になれるような選手として、丸を育てたんですから。


☆その辺は、田中くんがショートに戻ってくれば、かなり改善されるとは思いますけどね。西川くんは今サードにも挑戦してますが、センターを誰が守るのかは、できるだけ早い段階で決めた方がいいと思います。少なくとも、春のキャンプではチームとして固めとかなきゃいけませんからね。


☆その、誠也くんの話題、もう1つ。


◇誠也 首位打者、最高出塁率、ベストナイン…それでも感じた「やっぱり優勝がいいと」 11/28(木) 16:42配信 スポニチアネックス

 広島の鈴木誠也外野手(25)が27日、自身のブログを更新。自身初の打撃タイトルとなるセ・リーグ首位打者に加えて最高出塁率、ベストナインにも輝いた今季を振り返り、それでも「やっぱり優勝がいい」と偽らざるを本音を吐露した。

 「初タイトル」とエントリーした鈴木は「NPB AWARDS 2019へ出席してきました」と26日の年間表彰式に出席したことを改めて報告。「今年1年全力で頑張った結果なので個人表彰ももちろんうれしいしありがたいのですが」とした上で「改めて感じました」「やっぱり優勝がいいと」と4連覇を逃して4位に終わったチーム成績への悔しさをにじませた。

 ブログには「やさしいチームの大先輩と」とセ・リーグベストナインに輝き、侍ジャパンとしてもともに世界一に貢献した広島・会沢翼捕手(31)との2ショットに「荒川区の大スター地元の大先輩と笑」と同郷の先輩で侍ジャパンの守護神を務めたDeNAの・山崎康晃投手(27)との2ショットを添えた鈴木。

 最後は広島のファン感謝デー(23日、マツダ)の写真も添えて「楽しかったですね笑」と振り返り、「お絵かき対決はぶっちぎりの優勝でしたとさ笑笑」と衝撃的な画力でスタンドをうならせた?「カープ坊や」の自作イラストを持つ写真で締めくくった。


☆いやね、「お絵かき」は、是非誠也くんのブログに行って御覧になることをお勧めします(笑)。


☆やっぱね、優勝の力になってナンボ、ですからね。チームが微妙だと、いくら頑張っても、どこか虚しい。


☆結局、バランスの取れたチームが、一番強いんですよ。カープも前田・江藤・金本・野村・緒方、そして新井さんと、そうそうたるメンバーが打線に名を連ねてましたが、やっぱりピッチャーが圧倒的に弱かった。で、主力が引退して、小粒な打線になり、外国人で大砲を補ってクリーンナップを任せる、なんてことをしてましたが、それもうまく行かなかった。結局、走攻守に優れた選手を揃え、投手もある程度駒を揃えることで、カープは強くなった。ホームランは20本前後は打てて、走れて守れる。そして野球を知ってて、チームとして動ける。長らく低迷した時代には、「名選手」はたくさんいましたが、チームに「勝つメソッド」がなかったんですよね。


☆それを知ってる選手、丸が抜けたのは、確かに痛かった。来季は、いかに「勝つ野球」を実践できるか。


☆首脳陣はどうも野間くんをセンターに置きたがってるようですが、いやいや、まだまだバッティング以上に、「野球のお勉強」が足りないと思いますよ(笑)。


P.S. 今日もアクセス・クリックを頂きました。本当にありがとうございます。

にほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへ
にほんブログ村


source : K.Oのカープ・ブログ。